2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

学校での英語教育を廃止せよ

楠さんの話を聞いて、私の議論があまりにキレイ事ばかりだったのじゃないかと大いに反省させられた。英語の敵は刷り込まれた苦手意識 - 雑種路線でいこう子供たちにとって最初の英語教師は重要だ。考えて見れば、私は中学一年のときの英語教師が素晴らしい人…

必要なのは「共通語としての英語」

日本企業は「社内公用語=英語」しないともう世界で生き残れない - My Life in MIT Sloanから始まった定番の「英語できないと生き残れないよ」論争。「生き残る(survive)」という言葉をわりとアメリカ人は良く使うのかもしれないが、なぜか日本では受けが悪…

学校のような企業を作る

気分転換のため、今日は、1年ほど前に私がベトナム語で書いたブログ記事を和訳してみた。新しい時代の企業経営について考えている。Việc thành lập công ty giống như nhà trường - Tôi đi với Rails - Eiji Sakai - Yahoo! 360plus 学校のような企業を作る …

優れた評論家の条件

日本批判を繰り返している私だが、それなりに長い社会人生活を送ってきて、日本的な機微もわからなくはないのだ。私がもし上司の立場なら、私のような可愛げない男を部下にしたいとは思わないかもしれない。人間が集まって組織が出来ている以上、そういう感…

学歴が消える日

前回、「東大コンプレックス」で東大という知的権威をめぐる、人々の複雑な情念のうごめき(コンプレックス)について考えた。学歴(学校暦)は微妙な話題で、深く考えるとややバツが悪い感じがする。学歴は何のために必要だろうか。伝統的に、教育は、職業…

東大コンプレックス

コンプレックスとは、もともと精神医学用語で、「怒りや悲しみなどの強い感情や体験、思考が、無意識的に結びついている状態」である。しかし、日本では、単にコンプレックスといえば、劣等感のことを意味することが多い。東京大学という存在は、それが知的…

「日本というシステム」は持続可能なのか?

自分の人生を振り返ると、実に馬鹿だったな、と苦笑せざるを得ない。私は1994年に東大経済学部を卒業して、ある都市銀行に入行し、都心の支店に配属された。私が理論肌の人間だということは銀行も知っていただろうから、おそらく、数年現場仕事をさせた後、…