日本のどこに一番不安を感じるのか

国にしろ、会社にしろ、家族にしろ、人が集まる組織においていちばん重要なことは「飯が食える」ことだ。経済的な基盤はすべてに優先する。「衣食足りて礼節を知る」というではないか。
私は、むかし職を転々としていたころ、本当に貯金が底を尽き、スーパーの野菜を盗もうかとおもうほど貧窮したときがあるから、人間なんてそんなものだよなと思う。(まあ幸い泥棒はしなくて済んだが)

日本という地域に住む人たちがこれからさき飯を食べ続けることができるのだろうか?というのが根本的な質問だ。国という言葉はナショナリズムという揮発性の高い燃焼物と結びつきやすいので、あまり好きではない。実在するのは、日本列島という地理的存在であり、そこに住み続けている人たちである。現在日本に住んでいる人たちの圧倒的多数が、先祖代々日本に住み続けている「日本人」と呼ばれるエスニックグループである。かれらは、日本文化という高度に洗練された文化を長年維持してきており、この面で人類社会へ無形の貢献をしている。この先は、祖先を日本列島に持たない人たち(いわゆる「外国人」)が多くすみ始めるだろうが、かれらは何らかの形で伝統的な日本文化とかかわりを持つことになるだろうし、そこで日本文化が新しい刺激をうけてさらに洗練・発展していけばいいと思う。日本文化の一部は外国人によって担われることにもなるだろう。(いまでも相撲とか柔道とかがそうかもね)

まあ、出自はともかく、この先も日本列島には日本文化を担うひとたちが住み続けるわけで、私の関心は、そういう人たちがこの先どうやって飯が食えるだろうか、ということだ。

私が、いま日本に絶望的な印象を持つのは、この点が弱いからだ。

21世紀は、情報が経済の中心の時代だろう。情報を扱う技術、それが IT (information technology) だ。日本人は、IT をうまく扱えないことが年々はっきりしてきている。社会全体が IT を軽視していることは、IT 技術者に対するひどい扱いを見ても明らかだ。

最近、ものづくり日本(笑)とかいうスローガンが叫ばれているらしい。製造業大好き日本。ただねえ。製造業じゃもう飯は食えないと思うのよ。なぜならば普及品は中国やインドがそこそこの品質で安いものをつくるようになるから、日本企業は太刀打ちできなくなる。ならば高級品だといま日本の製造業者たちは高級品志向を高めているみたいだけど、高級品はもともと一部のマニアや富裕層向けのニッチな商売であって、日本のメーカーのような図体のでかい会社やることじゃないと思うわけ。東芝SSDフラッシュメモリーを使った大容量記憶媒体)を量産するために1兆円以上投資するらしいけど、発想が1980年代から変わらなさすぎて、泣けてくる。まだ、選択と集中ができない同業他社よりはマシとはいえ、瞬間的にコモディティ化してしまう商品の生産に1兆円以上使うって、とんでもないギャンブルだよね。日本人ってもっと手堅いはずじゃなかったっけ?

違うなあ。違うんだよ。何かが根本的に違う。たぶんそんなことをしても将来、先進国として飯は食えない。私もこれだ!といえないのが歯がゆいのだが・・・。