「作品」化していく商品

理想的には、映画の「監督」や建物の「アーキテクト」のようにデザインに関して全権を委ねられる人を一人選び出し、「その人に賭けた」もの作りをするしかないと思うんだが。企業の中で一個人があまりに強い力を持つことを嫌い、責任の所在をあいまいにすることに最適化された日本の大企業にはそんなことはできないのだろうか?

おもわず書かずにいられないわ。iPhone を見てもそうだが、だんだん世の中の売れ筋商品が芸術のように「作品」となりつつある気がしてならない。つまりモノやサービスがありあまりすぎて、何の変哲もない万人向けの商品はたいして高く売れなくなってきているのではないか。個性的でないと売れない時代。そして、この世にあるもっとも個性的な創作物とは芸術作品であり、その定義からして一個一個が完全に異なる個別のものである。芸術作品の個性は、それを作る芸術家の個性(個別特異性)に裏打ちされている。

つまり本当に個性的な(=売れる)商品を作り出したければ、誰かひとりの個人的な思いがたっぷりつまっていなければならないのではないか。iPhone は、やはり Steve Jobs 一個人の個性に多くを負っているし、任天堂Wii宮本茂という人間のこだわりがなければいまのような形にはなっていなかっただろう。

これから高く売れ、大きな利益をだす商品の背後には、例外なくそれに強いこだわりを持った人間がいることだろう。もはや単なる資本や技術だけでは十分ではないのだ。組織化された軍隊ではなく、個々人が活躍する大英雄時代の到来である。

私は、もちろん個人主義にどっぷり浸かっている人間なので、バイアスがあるのは認める。それにしても、いまの世界経済が、個人主義を利する方向に向かっている気がしてならない。各民族は、それぞれの歴史的背景から、個人主義から集団主義へのスペクトルのなかでいずれかのポジションを取ることが多い。私の各国を回った少ない経験から言うと、日本は世界でも非常に集団主義の傾向が強いように思う。とすると、日本人はこれからの世界経済ではなかなか厳しい局面に立たされるかも。(世界で、もっとも個人主義的な国のひとつ、アイルランドの経済が好調なのもそのせいか?)