「会社=家」という発想

他方、企業の側も「株式会社」という西洋の概念をあまり理解していなかった。明治初期の経営者は士族出身が多く、企業を家をモデルとして考え、個人の利益より家の永続性を至上目的とする傾向が強かったので、それを外部から牽制する株主という概念はなじまなかった。

これって本当にそうなんだよなあ、とつくづく思う。日本の大企業グループ(たとえば「トヨタグループ」「日立グループ」)には系列をふくめてそれぞれ数十万人の従業員が働いていて、その家族を含めると100万人を超える規模になると思うけど、これが江戸時代の藩にどれほどよく似ていることか。

たとえば藩のたてまえは(幕府でも)同職はつねに複数で、責任の所在というものがなく、いったん事がおこればけむりのごとく問題をうやむやにしてしまう。その点、まるで魔法のような組織なのである。

というくだりが幕末の長岡藩士河井継之助を描いた司馬遼太郎の「峠」という小説に出てくるが、これは現代日本の大企業にそっくりではないか。当時の幕府にあたるのは、もちろん霞ヶ関である。

おもえば明治維新はわずか140年前の出来事である。チョンマゲを切り、刀を廃し、洋服を着るようになったからといって、日本人のメンタリティがそんなにすぐに変わるわけがない、ということなのかもしれない。1960年には、江戸時代の藩のような結束力をもつ大企業集団は、日本の強みだった。だが、2010年をもうすぐ迎えようとするいま、それがむしろ弱みになりつつあるのがいまの日本経済の最大の痛点である。