むしろ「競争という幻想」というべきなのかな

なんか私が最初つけたブクマコメントがちょっとポイントを外していたような気がするので、ブログに考えをまとめておく。

これも、本の中でも書いた「これまでの成功体験に引っ張られて、成長戦略がやめられない」「これまで楽隠居の身分になったことがなかったので、どうすればいいかわからない」ことなどが影響しているだろう。「楽隠居戦略」では、若い人に対するイメージが悪くなって採用に悪影響があるとかなんとか、言いそうだけれど、そもそも「安定した地方公務員」とか(昔なら)「安定した銀行員」になりたい若者がいっぱいいるんだから、別にいいじゃないの。

隠居フェーズの産業は、どんどん統合して競争を減らし、安定してはいってくるキャッシュは、投資家へのお小遣い(配当)や、若い産業への教育投資(ベンチャー投資)などにまわせばいい。自前で無理やり、体に合わない新しいことをやろうとする必要はないんじゃないか。また、政府やマスコミも、なんでもかんでも「競争、競争」といわなくてもいいんじゃないか。

これは、単にいまキャッシュをもっている大企業が合理的な経営判断ができていないということに尽きるのではないか?本来、企業がやっていることは金儲けなんだから、どんな手段でも(合法の範囲内で)金が儲けられればいい。にもかかわらず、「無理な競争」は産業全体では過剰投資を引き起こし、投資収益率が低い。そんなことをするくらいなら、いままでの商売でほそぼそやるか、あるいは自分でカネを使うことをやめて、若くて生きのいい連中(ベンチャー)に投資することでお金儲けすれば、そっちのほうが収益率が高いはずなのにね、というのが海部さんの感想だったのかな。

つまり「成長成長」と言ういまの大企業の連中こそ、「金儲け」という資本主義社会での本当の意味の競争をしていない、という皮肉な結果になっているのかもしれない。

とすれば、やはり市場の掟にしたがって、自分のキャッシュを無駄遣いする連中は、いずれ市場から撤退させられるのかな。

・・・ちょっと論理は飛躍するけど、日本的なしがらみがなく合理的な判断ができる連中と言うと、やはり外資しかない気がする。欧米系の資本はもちろん、これからは中国系の資本が日本でも活躍しそうな予感。キャッシュを有効利用できないゆえに株価が低迷し、外資に買収され、無能な経営者が追放されて、ドライな大陸系の経営者(日本人であれ、外国人であれ)がトップに立つ時代が来たら、「パラダイス鎖国」を謳歌する普通の日本人たちはどういう感想をもつのかな。日本的な馴れ合いとは違って、自分の首が飛ぶかもしれない緊張感が基本になれば、もうちょっとはたくましくなるのかな?それとも、逆に萎縮して力を発揮できなくなってしまうのかな?