社会に関わるということ

昨日の昼間は、仕事関係でお知り合いになったある方と新宿でお茶をしていた。この方は優秀なプログラマ兼経営者で、地域の Ruby コミュニティの重要メンバとしても活躍している。

しばらくいろんな話をした後、私がなぜベトナムに行きたいか、いかに今の日本に絶望しているか、という話になった。

僕があまりしつこくその話を続けるので、彼は最後に少し表情をゆがめてこういった。

「将来性があるベトナムに行くという部分は愚痴ではないが、日本について文句を言っている部分は愚痴ではないか。たとえ少しずつでも自分のできることから日本を変えていく努力をするべきではないか」

この方は、社会運動を通じて、たくさんの人々の賛同を受け、それによって自分が成長したという経験を持っている人なので、その言葉には重みがあった。

末端の人々が地道に社会に働きかけ何かを変えていく行為を草の根運動とよぶことにする。

私は、大学時代、経済学を学んだが、そこでは経済(強いては社会)はシステム論的に決定されるもので、人々の草の根運動が経済や社会を変えることはできないという認識を持った。いまの日本経済が絶望的な状況に突入しつつあるのは間違いない。草の根運動に価値がないという考えの下では、この状況について指をくわえて傍観するか、あるいは日本から逃げ出すか、どちらかしか選択肢がない。

私は、プログラマでありながら、プログラムだけ書き続ける生活に本当にうんざりしてしまった。技術好きな人には申し訳ないが、現在の IT 技術と呼ばれるものは、ある一定程度学んでしまえば、その先は趣味の世界というか、経済的な効用はほとんどかわらない気がする。ソフトウェア製作の生産性を左右するのは、むしろプロジェクト管理であったり、チームメンバ間の知識共有の仕組みづくりであったり、よい人間関係の構築であったりするのだろう。あるいは、そもそもビジネス目標の設定・顧客との関係管理・資金調達等、そういう経営的な要素が最終的にソフトウェア製作の生産性を左右する。

日本の SIer は基礎技術を軽視しすぎだとは思うが、オープンソースコミュニティが陥りがちな技術偏重主義も、現実の問題解決の解にはなっていない。

日本のネット企業はあまりに「チマチマしすぎている」と、私は昨日言った。日本で最大のネット企業はヤフージャパンで従業員2,697名(連結3,759名)。楽天1,131名(連結3,242名)。サイバーエージェント単体517名(連結1191名)。mixi にいたっては170名しかいない。日本の IT 産業の従業員のほとんどは従来型の SIer に所属しており、いわゆる「とんがったネット系」企業の従業員は合計してもこの日本に2万人もいないのではないか。(ちなみにGoogle が13,748名、中国の大手ネット企業アリババが4400名)

何度考えてもいまの日本の状況は絶望的であるとしかいいようがない。日本の IT 産業(SIer + ネット企業)をめぐる状況は完全にデッドロック状態で、草の根運動はおそらく自己満足にはなるかもしれないが、現実に何かを変えることはまず無理だと思う。自分の有限の人生を可能性のないことに消費したくはない。

やはり今は草の根運動をやるとしたら、日本以外の場所で始めるしかないと自分は考えている。これはリスクの高い戦略だが、リスクがないかわり将来性もない日本でこのまま活動を続けるよりずっとましのように思える。

私がベトナムに行くのは、ベトナムで人を雇うという経験をしてみたいからだ。日本は賃金が高すぎて、失敗した時のリスクが高すぎる。その点ベトナムの賃金水準はまだまだ安い。人を雇い、経営をするというのは難しいかもしれないが、これから私がやがて中年を過ぎ、老いを迎えたときに自分を支えてくれる中核的なスキルになると思うからだ。私は、いままですべて自分のことは自分でやってきた人間だ。人を雇い、権限を委譲し、仕事を任せるのは、ある意味とても怖い。だが、その怖さを乗り越えていかなければ、自分のビジネス上の成長はないと考えている。