粗大ゴミを出しながら考えたこと

私は22日夜に東京を離れる予定である。現在借りているマンションは引き払って、ベトナムへ赴く。そのため現在、本棚やラックといった家財道具をバンバン粗大ゴミとして捨てている最中だ。するとなぜかめちゃくちゃ気分がブルーになるのである。あまりに鬱になるので、その原因について考えてみた。仮説は以下の2つである。

1. ベトナム行きが不安である。家財道具を捨てることは point of no return を意味するので、その不安が強化される。
2. そもそも自分はモノを扱うことが苦手である。いったん表現してしまえば、永久不滅のデジタル情報とちがって、モノは一定の物理的空間を占有し、いつか消滅するものである。そのモノの有限性を痛感させられることが、自分を憂鬱にする。

自分の心を内省するに、1 も 2 もあるかな、とは思う。ただ、自分の中でより深いところを占めている問題は 2 であるような気がする。思えば、大学を卒業してから、基本的には、情報を扱う仕事しかやっていない。情報は、モノに比べて消滅することが少ない。昔、情報がおもに紙の上のインクのしみとして表現されていた時代は、その紙を捨ててしまうことイコール情報の消滅であった。しかし、デジタル時代に入り、フロッピーからハードディスク、ハードディスクからフラッシュメモリと次々に媒体を変えて、情報をほぼ無限に保存できる今日、情報の消滅ということは(とくに重要なものについては)ほぼありえなくなった。普段、そういう世界に浸り、永遠不滅のユーフォリアにおぼれている身が、ふとリアルで有限な物理的世界に引き戻されて、鬱になっているということなのかもしれない。

ああ、私はたぶんこの先もモノを扱う仕事はできないだろうな。モノを扱うということと情報を扱うこととはそれほどに異なるメンタリティを必要とするようなのである。日本経済が、かつて製造業の成功により、栄華を極め、いまや零落してもその記憶を忘れることができず、情報中心の経済へ移行できないのも、モノと情報を相手にするときの心構えの違いを思えば、むべなるかな、といえるかもしれない。