なぜ国家は衰亡するのか

中西輝政著「なぜ国家は衰亡するのか」をいま読んでいる。この著作のなかで中西氏は、イギリスやローマの例を引き合いに、なぜこの世の春を謳歌した世界大国が衰退しやがて滅亡したのか、あるいは、一時的に衰退しつつも、再び再生を遂げることができたのかを解き明かそうとしている。

この本のなかで、衰退の兆候がはっきりしてきた20世紀初頭のイギリスの社会風景が描写されているのが、これが現代(2008年)の日本にあまりに似ていて、気持ちが悪いほどである。ちなみにこの本は、1998年に書かれたもので、中西氏は「日本は、先進国特有の衰退の初期段階にある」と喝破するのだが、それから10年、あまりに中西氏の予言どおりに日本の歴史が進行しているのに戦慄を覚える。

20世紀のイギリス社会には次のような風潮があったという。

1. ロンドンが快適で刺激に満ち、若者はロンドンから離れるのを嫌った。
2. 多くの海外植民地を抱えながらも海外勤務を嫌がる人々が増えてきた。
3. 海外移住は嫌がる一方で、気軽な海外旅行(パックツアー)は大流行した。
4. 「癒し」を求めて温泉ブームが起こった。
5. 展覧会・博覧会・スポーツの試合など数多く催され人々は熱狂した。
6. 古典から離れて軽薄な趣味へ人々の関心が向かった。
7. 文字が読まれなくなりマンガが流行
8. 健康ブーム
9. 新興宗教の興隆

1980年以降の日本となんと似ていることか。経済成長が続き、生活が豊かになり、しかし、次の目標を見失った社会が辿る道というのは常に似ているということなのか。

中西氏は、他にも、西ローマ帝国と東ローマ(ビザンチン)帝国、アメリカ、中国の例を引きながら、何が国家を衰退させ、また何が衰退から救うのか考察していく。

中西氏の結論は、ある文明(文化圏)がその力を維持し続けるには、

1. 外部の文物を取り入れながらも、
2. その文明の核にあるものは絶対に放棄しない。

ことが重要だという。2. を行うには、自分自身の歴史と伝統について理解を深めなければならない。

日本については、江戸時代以降、日本は 60-70 年周期で興隆と衰退を繰り返してきたとする。確かに、明治維新(1868年)から太平洋敗戦(1945年) までが 77年である。現在(2008年)の日本の状況は、軍部が暴走しはじめた昭和初期によく似ているといえるかもしれない。なぜなら、官僚機構が政治の力でうまくコントロールできず、官僚たちは国民の福祉より自分自身の利権のために自己増殖を続けているからである。確かに 明治維新(1968年) から 226事件が起きた 1931 年(昭和6年)まで63年、太平洋敗戦(1945年) から今年(2008年)がやはりちょうど 63年である。奇妙な符合といわざるをえない。もし70年周期で日本が破滅的な状況に遭遇するとすれば、1945年から起算すること 70 年、2015 年くらいに何か、太平洋戦争敗戦に匹敵するような破滅を見ることになるが・・・。

中西氏は、日本はこうした興隆と衰退の歴史を繰り返してきており、日本人は、今日の衰退も必ずしや克服しうる潜在能力を持っているという。ただ、中西氏が懸念するのは、太平洋戦争の敗戦後の社会が、戦前の社会を全否定した結果、日本の歴史と伝統を軽んじるようになり、日本人の底力が低下してきている可能性があるということだ。

中西氏は保守的な論客で、私はどちらかといえばリベラルなほうだから、考えが食い違う部分も大きいのだが、彼の主張は拝聴に値すると思う。私が思うに、日本はまだ太平洋戦争の敗戦を清算し切れていないのではないか。明治維新によって、近代国家の仲間入りをし、日本という国の自己定義を確立する前に、悲惨な侵略戦争を始めてしまった。「国を愛する」という言葉がタブー視されている国というのは、世界に類を見ない。どの国でも祝日には、国旗を掲げて国の繁栄を祝福するのは、当たり前である。以前、カナダに住んでいるときに、カナダ人たちが非常に素直な気持ちで、カナダが好きだといい、国旗を掲揚している姿を見えて、私はうらやましく思った。日本だけそれができないのはどうしてなのか?

日本人であるにもかかわらず、国旗や国歌を軽んじるとしたら、それはまったく精神病理的な現象だといわざるをえない。

一般的に X 国に属する国民 X 人は X 国を愛すべきであろう。もしそれがどうしてもできないなら、他国の国民になったほうがよい。日本の場合、愛国という言葉がすぐに、戦争や軍国主義に結び付けられてしまうのは、戦前のある時期の記憶がいまだにトラウマとして残っているからだろう。だが、いまや領土拡大が国益に直結する帝国主義の時代ではない。現代は、すべての国が経済的に深く相互依存するグローバル経済の時代である。こうした時代には、自分の国に誇りと自身を持ち、国を愛するほど、他国への思いやりが生まれ、平和を希求するようになると考えるのが自然ではないか?なぜなら、日本が世界中の国々と友好的な関係を維持するのが、経済的繁栄の唯一の道であり、日本を愛するなら、とても他国を貶め、戦争の種になるような行為は行えないはずだからだ。

日本の一部の勢力は、公的な場面での国旗掲揚や国歌斉唱に反対しているらしいが、これは本当に理解できない。日の丸や君が代という特定の旗や歌が、戦前の人権抑圧的・好戦的な時代を想起させると主張するのであれば、新しい日本を象徴すべく、新しい国旗や国歌を作ればよいだけの話ではないか。カナダでは実際に1960年代に、フランス系住民の反対により、英国色の強かった古い国旗を捨てて、現在のメープルリーフをあしらった新国旗を作った。英国系住民とフランス系住民の融和の象徴として、現在はすべてのカナダ人に愛されている国旗となっている。日本ではどうしてそれができないのか。(個人的には、日本人が愛する桜の花をモチーフにした新国旗でもつくったらいいと思う。国歌についてはいいアイディアがないけれども。)

世界を知れば知るほど、日本人が「日本なんてどうでもいい」「日本政府がどんな政策を取ろうと自分たちの生活には関係ない」などとは口が裂けてもいえないことがわかってくるはずだ。日本人は、日本に住もうと海外に住もうと、日本という国家の盛衰と無関係に生きることは不可能だ。だからこそ、自分たちの住む場所に誇りを持ち、絶えずそれを向上させようとする気概をもたなければならない、と本気で思うのである。