ハノイの夜

今晩は、クイン・アイン(Quynh Anh)さんにハノイの夜を案内してもらうことになっていた。私は、東京で、あるベトナム人留学生からベトナム語を教わっていたのだが、アインさんはその留学生の幼なじみで親友なのだ。夜7時半、泊まっているミニ・ホテルのロビーで待っていると、彼女は、しゃれた黄色のホンダのスクーターから颯爽と降り立ち、背筋をすっと伸ばして、こちらに歩いてきた。まるでルパン三世の中の峰富士子のような、都会的でスレンダーな美人である。私は、もっと素朴な女の子が、バスに乗ってトボトボやってくる図を想像していたので、予想外の出来事にやや狼狽した。ベトナムの美人というのは、こういう人のことなのか。

挨拶を交わすと、「さあ、出かけましょう」と彼女は言った。私がきょとんとしていると、彼女は後部座席を指差す。バイクに乗って出かけるということなのか。そう、ここはベトナムなのだ。110 cc のスクーターの乗り心地のよい後部座席に跨ぎ乗ると、バイクは狭い路地をゆっくり走り出した。通りに出ると、そこはバイクが、まるで小川を泳ぐめだかのように、縦横に入り乱れながら、走っていく。その流れに乗って、薄暗い街の中、光る古びたネオンの下、バイクで走っていくときの気分といったら・・・。ああ、私の文章力が足りなくて、伝え切れない。なんという雰囲気のある街であろうか。私が目にした光景の場面の一つ一つがそのまま映画の1シーンにできるのではないか、と思えるほど、味わいの深い街である。

どう表現したらいいのか。ハノイの反対の街の例を挙げれば、たとえば、新興団地街。シンガポールの街並み。あるいは、アメリカの都市郊外のタウンハウス街。きれいで整理が行き届いているが、すべてが殺菌消毒されていて、個性がなくなってしまっているような、そんな街。ハノイは、そういう街の対極に位置している。歴史が堆積して、ふつふつと発酵しているような街。交差点から上を見上げると、電線がまるであやとりの糸のようにあらゆる方向からあらゆる方向へ無数に伸びている。蒸し暑い街の夜闇に無数の人々がうごめいている。建物は古いが、一つ一つが個性的で、歴史を感じさせる。その上に、ツタや古木の枝が覆いかぶさっているのだ。まるで、森の中に街がうずもれているかのようだ。

こんなに味のある街は、私の記憶にある限りでは、キューバハバナしかない。ハノイは、ハバナになんとなく似ているような気がする。キューバベトナム、ともに社会主義国で、大国の政治に翻弄された国々であるというのは、偶然なのか必然なのか。

アインさんに、白身魚の香草炒め(chả cà lã vọng) をご馳走してもらった。韓国でも中国でもベトナムでも、ずっと友達におごられっぱなしである。絶対に払わせてくれない。これらの国々では、客人は厚くもてなすのが礼儀なのだ。翻って日本はどうであろう。日本人は、ここまで客人をもてなすだろうか。よく思い出せない。だが私はひそかに心に決めた。日韓中越、4カ国中3つが、客人には必ずおごる文化なのだ。3対1。多数決で、私も今後は彼らのやり方を見習うことにする。

食後、ナイトマーケット(hội chợ đêm)へ出かけた。昔懐かしい夏祭りの屋台街のようである。T シャツを探すが、なぜか S サイズしかない。そういえば、ベトナム人の体格は、日本人よりやや小さい気がする。そして、男女とも、細身ですらっとしている。男は、精悍な感じがするし、女は、アオザイがよく似合う。ベトナム製の精巧な工芸品が数多く売られていた。ベトナム人は、やはり手先が器用で、デザインに気を配る心を持っているらしい。子供や若者がとにかく多い。

ホテルの部屋に帰ってきても、いまだにあのバイクからみたハノイの夜の光景が頭をかすめる。本当に、とんでもないところに来てしまったものだ。