金儲けについて

ベトナムは、統計上、日本に比べると貧しい、ということになっている。円に換算すれば、ベトナム人の平均的な給料は、日本人の平均的な給料の数分の一という水準である。ハノイの裏路地では、野菜売りのおばさんが、どこからか仕入れてきた野菜を路上に無造作にならべて、新鮮さを保つために霧吹きで水をときどき掛けながら、客が来るのをじっと待っている。このおばさんは、一日にいくら金を稼げるのだろう。おそらくはたいした金額ではあるまい。日本円で500円とか、そんな程度であろう。

一方で、いまは100年に一度の世界金融危機の真っ只中。日本を出発して、わずか3週間で、日本の平均株価が 30% 下落した。世界の株式市場で、最近1ヶ月だけで、数百兆円の価値が吹き飛んだと言われている。

私は、いま、世界のもっとも貧しい部分と豊かな部分を同時に見ることのできる地点に立っている。

リーマン・ブラザーズをはじめとしたアメリカの投資銀行が、姿を消した。これをもって、アングロサクソン型金融システムの終焉だと述べる評論家も日本では多い。虚業がついに崩壊したと内心喝采を送っている人もいるだろう。

私の考えはやや違う。そもそも、商売である以上、金は儲けてナンボである。リーマン・ブラザーズは、素人には複雑怪奇な金融の新商品を次々に開発し、それによって巨額の利益を上げた。負債総額は数十兆だとか。私は、アメリカの金融機関の大胆さに、むしろ商売人としての心意気を感じる。金儲けを目指す者、かくあるべし、である。

翻って、私は、どうであろうか。私の東京でのビジネスモデルは、基本的にソフトウェアを作って、売るだけのことである。確かに最先端の技術 Ruby on Rails を使って、効率的に品質の高いソフトウェアを作るように心がけた。その結果、よいお客様に恵まれて、それなりの収益を上げることもできた。

だが、アメリカの投資銀行から見て、一日の所得が数百円のハノイの野菜売りと、数万円の東京のソフトウェアエンジニアにどれほどの違いがあるだろうか。しょせんは、五十歩百歩ではないか。ソフトウェアエンジニアの仕事は、極度の精神的緊張を強いられるつらい仕事である。その報酬がこの程度というのは、本当に十分といえるのか。

今回の金融危機アングロサクソンの時代は終わりだ、と考えているひとがいたら、一言、言っておきたい。彼らの精神的伝統は、この程度の危機で崩壊してしまうほどやわではない。4年間のカナダ生活を通じて、アングロサクソンの文化が、いかに目に見えない構造を考え抜くことに大きな価値を置いているか、痛感した。近代スポーツが、イギリスで発明されたことからわかるように、アングロサクソンの人たちは、ゲームのルールを制定したり、世界全体を俯瞰して経済政治システムを作るような仕事において、ずば抜けた能力を備えている。だから、われわれアジア人がいくら製造業で世界経済に貢献しようとも、国連や IMF に象徴される世界秩序を管理するアングロサクソンたちに、まったく頭が上がらないのだ。アングロサクソンたちは、今回の経験をバネに、さらに複雑に進化した新しい金融秩序を作り上げるに違いない。そこで、旧時代の経営を続ける日本の金融機関が太刀打ちできるかどうか。

私は、私なりにより効率的にカネを稼ぐ方法を考えてみたい。カネは重要である。見栄を張ったり、自分の心身を甘やかすためではない。家族や友人を守り、世界を動かすために、カネは必須なのだ。