怒れるイタリア人

ホテルのロビーでベトナム語を勉強していると、受付の男の子が僕を手招きする。3階の客のインターネット接続の調子を見てほしいという。

私がその客の部屋に入っていくと、欧米人で50歳くらいの長身の男が、自分の PC に向かって盛んに悪態をついている。彼の PC にはイタリア語版の Windows が走っていた。

問題は、技術的にいうとこういうことだった。無線 LAN の物理的な接続はできているのだが、DHCP によるIP アドレスの自動割当が失敗しているのだ。私も別のホテルで同じ問題にぶちあたり、固定で IP アドレスを指定するなど、いろいろ手を尽くしたのだが、結局うまくいかなかった。(もしだれか解決方法をご存じの方がいたらご教示ねがいたい)

イタリア人は、自分の不運に散々悪態をついた挙句、最後は怒りのエネルギーが尽きたかのように、もういい、後で考える、と静かに言った。私の努力に対しては、ありがとうと言ってくれた。

私がホテルのロビーでベトナム語の学習を再開すると、例のイタリア人がやってきた。ロビーでインターネット接続を試そうということらしい。ホテルのネットワークにはつながらなかったのだが、道路を挟んで向こう側のカフェの電波が拾えた。イタリア人は勝ち誇ったように「ほら見てみろ。悪いのは俺の PC じゃない。ホテルのネットワークが腐っているんだ」と叫んだ。ホテルのスタッフは苦笑している。

彼は、しばらく自分の PC でネットサーフィンをしていたが、私を見て「ベトナム語を勉強しているのか?」と話しかけてきた。そうだと答えると、彼は「ベトナム語は昔3ヶ月勉強したが、ものにならなかった。声調があるからな。日本人にとっては簡単かもしれないが」と言った。なぜ日本人なら簡単だと思うのかとたずねると「だって日本語にも声調があるだろ」と言う。これには噴き出してしまった。おいおい、日本語がいつから声調言語になったんだ?

ベトナム語タイ語・中国語には声調がある。もし、その3カ国だけを訪れたことのある欧米人がいれば、ここから推測してアジアの言語にはすべて声調があるという誤った確信にいたるかもしれない。アジア人からしてみれば笑止だが、私も人のことは笑えない。モナコとニースの区別もつかないからね。人間は、自分から地理的・心理的に遠い事柄については、驚くほど不正確な知識しか持たないということをよくあらわすエピソードだった。