文化的な性と職業選択

生物学的な性(sex)に対して、文化的な性(gender)という概念がある。これは、生物学的性に当然付随すると一般的に信じられている一連の思考形式・行動様式のことを指している。だが、実際には、生物学的男性でありながら、文化的には女性的な人、またその逆というものが考えられる。

私は、生物学的には男性である。そのことには迷いはないし、性的な魅力を感じる対象は一貫して女性である。ホモ・セクシャルな性向はまったくないか、あったとしても極微量であろう。しかしながら、私の思考形式や行動様式には、女性的な傾向が散見される。私の生まれ育った家庭は、女性の発言力が強かった、というのも原因のひとつかもしれない。あるいは、もともと先天的にそういう性格をもって生まれてきたのかもしれない。

生物学的には男性であるために、私のなかで、生物学的性と文化的性の不一致に関して葛藤があるようである。これが私の過去の一貫性のない職業選択を決定付けてきたように思われる。私は、いまでも非常に男性的な男性が苦手である。日本の大企業は、きわめて男性中心の社会である。大学卒業して入った日本の大企業の文化に、深い違和感を感じざるを得なかった。

私が、結局、コンピュータプログラマという職業を選択するに至ったのは、それが対人接触が本質的な仕事ではなかったからだ。もし、これが営業職であれば、私は日本の商習慣に深く浸り、男性中心の社会を文化的にも男性として生き抜いていかざるをえない。(生物学的男性である以上、女性として振舞うことは許されない)だが、コンピュータ・プログラマは、与えられた課題を技術的に解決すればよいだけなので、比較的文化から中立的である。

だが同時に、文化中立的な世界で技術的課題を解決するだけの仕事に、ある種の閉塞感を感じてきたのも事実である。私の思索は世界へ向けて広く開かれている。しかし、どのような行動をもって世界に向けて働きかけていけばいいのかわからない。私は、ずっとそれを模索してきた。

だからときどき私は突拍子もないことをする。1995年に沖縄でコピー機の営業マンをやったり、1997年に Perl のエンジニアとして独立を試みたり、2005年にインド系ソフトウェア会社でブリッジ SE として管理的な仕事を試みたりする。しかし、いつも私は高度に男性的な社会を前にして撤退する。そして、いつもコンピュータ・プログラミングに戻ってくる。

いまベトナムで会社を作ろうとしていることも、そういう荒唐無稽な行動のひとつなのかもしれない。

私の考えでは、男性的な社会とは競争を基本とする社会だ。サッカーやラグビーのようなスポーツを想像するといい。チームを作って、ある目標に向かって突進する。勝ち負けのある世界だ。一定のルールを守りながらも、相手を出し抜き、自分が有利な立場に立とうとしのぎを削る。こうした行為に疑問を持たずに専念できるほど、このゲームを有利に進めることができる。だが、私にはこういう世界はどうもピンとこないのだ。なにが楽しいのかよくわからない。私は、もともと運動音痴ということもあり、集団スポーツの楽しさを知らずに生きてきた。こういう人間にとって、男性的な競争社会というのは、月の裏側の世界のように遠く感じられる。

ならば、あえてそういう世界に無理して入っていくことはないのかもしれない。重要なのは、どうやったら自分自身が、十全にこの世界に関与して生きているという実感が持てるかだ。

勝ち負けがまったくない世界は、それはそれで、やや退屈なように感じられる。女性的な要素を多分に含む生物学的男性である自分を120%肯定して、そういう人格にもっともふさわしい社会的活動を行うべきなのだろう。女性的要素を含む男性的な競争。矛盾するようだが、広いこの世界には、こうした資質が必要な仕事もあるにちがいない。自分を否定したり改造しようと試みるのではなく、自然体でできる仕事を見つけるほうがより重要であろう。