戦争証跡博物館

ベトナム戦争の資料を展示する戦争証跡博物館(Bao tang Chung tich Chien trang)は、サイゴンの中心部にある。敷地はさほど広くなく、建物は古くて小さい。入り口の看板はベトナム語だけで書かれていて、事情を知らない外国人はそのまま通り過ぎてしまいそうである。庭には、当時のアメリカ空軍の戦闘機や、北ベトナム軍の戦車が展示されている。館内の展示は、写真が中心だが、米軍の化学兵器による奇形の胎児のホルマリン漬けなど、かなりショッキングな資料もある。各セクションごとに、当時の米軍の攻撃がいかに残虐で非人道的であったか証言する言葉が展示されているのだが、興味深いのは、これらの多くがベトナム反戦運動に参加した西側の知識人の言葉であることである。なにせ、建物に入って最初に掲げられている言葉は、アメリカの独立宣言なのである。アメリカよ、この残虐なベトナム戦争は、あなたたちの建国の精神に反しているのではないかい?という静かな抗議なのである。ベトナム人のしたたかな反骨精神に私は思わず舌を巻いた。

ベトナム戦争末期の1973年のサイゴンを訪れた司馬遼太郎が書いた「人間の集団について - ベトナムから考える」の一節を思い出した。

日本人は、日本文学の体質からみてもその発想や日常の動作をみていても中国人や西洋人よりはるかに女性的なのだが、その面で類似した民族というのはベトナム人しかいないように思える。


ただ、日本人は、なにかを思いついたとき、変に男っぽくなりたがるところがあってそういう場合にわれわれはむしろ警戒しなければならないのだが、ベトナム人にはそういう空気勢(からきおい)というものはない。静かでやさしくて一見弱々しいのである。


こういう民族でなければ、あれほどすさまじかったアメリカの軍事力投入に耐えてゆけなかったであろうし、耐えたあとでもなお、ハノイや解放戦線では、旧日本軍の慣用文章のような変に肩を怒らせた強がりの文章などほとんど見られないところをみると、ほんものの「たおやめ」ぶりであるらしい。

この戦争証跡博物館では、博物館自身が、修辞を尽くして声高に米軍とアメリカ政府を批判するような文章は展示されていない。むしろ、戦争資料をひとつひとつ丁寧に展示することによって、資料自身に現実を語らせる手法を取っている。本来ならば、この種の博物館は、ナショナリズム高揚の場になるはずで、もっと堂々とした建物を建ててもいいところだ。私は、ベトナム人の飾らない芯の強さに静かな感動を覚えた。