日本の起業家

Chikirin 氏の日本に起業家が少ない理由が面白い。

Chikirin 氏は、社会適応スキル(いわゆるスキル)と自己抑制キャパシティという直交する2つの軸で、人々を分類し、「社会適応スキル・高」で「自己抑制キャパシティ・低」な人々が起業家向きであるが、なぜか日本にこの種の人たちが少ないとする。

それは、次のような理由だと述べる。

“社会適応スキル”が具体的にどんなスキルセットを指すのかというのは、時代や国によって異なるのが自然。そして今の日本ってのはその“求められてる社会適応スキル”のひとつに“(下らんことでも)長期間じっと我慢できるスキル”ってのが入っているのでは?と考えた。

そうだとすると、「社会適応スキル」の高い人は、必ず「自己抑制キャパ」が大きい、という関係になる。つまり左下のボックスに入る人がほとんどいない、ということになるんじゃないかと。で、このボックスだけは該当者が非常に少ない、ということが起るわけです。

一流大学を出て都市銀行からキャリアをスタートしながら、あっさりドロップアウトして、ニートのようなフリーターのようなフリーランスのような生活をした挙句の果て、一人会社の社長をやっている私としては、思い当たる節が多すぎて笑えた。たしかね〜。私も Chikirin 氏の言うとおり、日本には起業家向きの人たちが多くないという印象を持っている。

私は、コンピュータ技術は学校で学んだことはほとんとゼロで、ほぼすべて独学で学んで、プログラマとして飯を食うようになった(社会適応スキル・高)。 ところが、いわゆる大企業的な「ぐだらんことを長時間じっと我慢するスキル」(自己抑制キャパシティ)というのが完全に欠落している。銀行時代には苦痛な思い出しかなく、散々な目にあった。いまの自由きままな生活は、何の保証もないが、とても気に入っている。

社会に新しいアイディアをもたらすのは多くの場合、起業家たちである。大企業というのはその組織的な性質からして、まったく新しいことを始めるより、既存のやり方を洗練するほうを好む。経済に大企業だけしかなければ、社会に斬新なアイディアが出てこない可能性が高い。斬新なアイディアとその実践(=イノベーション)がなければ、経済は必ず停滞する。経済が停滞するということは、賃金が上がらず、国際競争に敗れ、失業者が増えるということである。それを望む人たちはいまい。

起業家が多いということは、社会において新しいアイディアとその実行が多いということだ。確かに多くのアイディアは馬鹿げて見えるのだが、それが本当に馬鹿げているかどうかは、市場で試してみないことにはわからない。1つ2つでも、新しいアイディアが成功すれば、それは新しい経済秩序をもたらすかもしれない。社会全体で、「とにかくやってみる」ということが多いことが、明日の豊かさの源泉となるのだ。

起業家が少ない日本の経済*1は、老化現象が進み、これからジリ貧になっていく可能性が高いだろう。

・・・とここで話を終わらせると「なんだよ、結局批判で終わりかよ」「この評論家め、ペッ」とか言われてしまうので(まあ言われたっていいのだが)自分なりにどうしたらいいのか考えてみた。結論から言うと、対策は思いつかなかった(笑)。たとえば政府は、起業家精神にあふれた人たちを規制することはできても、彼らを作り出すことはできない。いまの日本社会は完全なる閉塞状態で、起業家が出てこないのは仕方ないとさえいえる。こういう場合、歴史が教えることは、新しい勢力は、中央ではなく周縁からやってくるということだ。確からしいシナリオは、日本人経営の日本企業が衰退し、変わって外国企業 or 外国人経営の日本企業が伸びてきて、彼らが社会に企業家精神を吹き込むことになるだろう。これに刺激を受けて、日本人の中にも企業家精神を取り戻す人が増えるのか、あるいは、日本人は完全に外国資本の下働きの地位に甘んじるようになるのかは、いまのところ、よくわからない。そういう日本社会の構造変革が起こるまで、あと15年ほどではないかと直感的に推測している。

*1:日本には中小零細企業は多いが、彼らのほとんどは、大企業を頂点とする下請構造にぎっちり組み込まれている。彼らは事実上、大企業の一部を構成しているので、起業家として数えない