絶対的弱者?

ちょっと考えさせられるエントリがあった。

ただ、知的障害者派遣労働者が少なからず存在すること、そしてそれ以上に、その姿を見て派遣労働者の真実を知った気になってる奴も大勢いること、この2点だけは指摘しておきたい。

製造業の派遣労働者の中には相当数の「知恵遅れ」の人たちが含まれているのではないか、という問題提起。そうね。私が1995年ころに群馬のバス工場で事実上派遣社員として働いていたとき、その手の連中は見かけなかったけどなあ。でも、一人一人の労働者と話したわけではないから本当のところはわからない。

製造業の末端のラインは、ごく単純な反復作業がメインなので、あの手の仕事を長く続けるには、それ独特の適性が必要だね。私はそのバス工場で働いていた3ヶ月間、単純労働が苦痛で仕方なかったけれど、意外なことに、そういう労働を苦にせずに、というか結構楽しんでやっている労働者たちがいることに気がついた。ある種の人たちには、極度なまでの環境の安定性が必要らしい。工場労働は彼らにそういう安定して規則正しい環境を与えることができる。

そういう人たちの一部に、知恵遅れの人たちが混じっていたとしても不思議ではないと思う。この手の人たちは、悪くいえば融通がまったく利かないから、他の環境に慣れるのは大変だろう。

正直いうよ。私は、知的障害者の人たちと個人的に知り合いになったことがない。本人たちを見ずに抽象的に論じている。こういう議論はあまり実りがない。適当なたとえかわからないが、たとえば外国人について、伝聞だけで論じるのと、実際に外国人たちと付き合った上で論じるのでは、ぜんぜん議論が変わってくる。2ちゃんねるあたりで暴れている嫌韓厨など相当痛いからね。だから、私は、本当に正しいことを言っているかどうかわからないと、一応、留保をつけておく。

その上であえて言うと、やはり社会には知恵遅れの人々も含めて、一定数の「絶対的弱者」はいるのかもしれない。心の病気だけでなく、身体の病気もそう。障害を持って生まれた人たち。倫理的にいって、そういう社会的に弱い立場に置かれたことに対して、本人に責を帰することが難しい人たち。私は、こういう人たちのための公的社会保障は絶対に必要だと考える。人道的に言ってもそうだし、自分だっていつ病気や障害を持つようになるかわからないという功利的な理由からしてもそう。

公的社会保障は、単にお金をやるというだけではなくて、なるべく本人が自立して生活することを支援する形を取るべきだろう。生活費が全部誰かからもらったお金というのと、給料は安くとも自分の稼いだ金で自分で生活する、というのでは、本人の気持ちがぜんぜん違うはずだから。

それでも今回のように景気変動の影響をいちばんモロに受けてしまう人たちなのかもしれない。どうしようもないときには、一時的に公的なお金で直接彼らの生活を支えるしかないかもしれないね。

では長期的に見たらどうしたらいいか。

それは、とにもかくにも、日本に新しい産業を作り出していくほかにないと思うんだ。1980年代終わりのバブル経済のころ、景気がとにかくよくて、人手不足が深刻だとマスコミは騒いでいた。私はそのころ大学生だったが、単純作業の日雇いのアルバイトで、日給1万円以上の仕事が東京にざらにあった。バイトを見つけるのは本当に簡単だったんだ。猫の手も借りたいという時代だったから、知恵遅れの人たちも含めて、いわゆる「社会的弱者」たちも比較的よい仕事を見つけることができたんじゃないかと思う。

結局、すべての人たちに仕事を作り出すには、経済活動が活発じゃなくちゃいけない。政策金利を下げたり、政府が公共事業を増やしたり、というのでも経済活動を活発化させることはできるけど、所詮は一時的なものだ。長い目で見たら、次々と新しい産業を作り出していくしかない。これがイノベーションということなんだけど。

イノベーションは誰にでもできるわけじゃない。ある種の、発想が柔軟で、体力があって、リスクをいとわずどんどん突き進んでいくような人たちが、自由に活動できる舞台がなくちゃだめなんだ。こういう人たちが、成功して、平均的な人たちより、余計にお金を稼ぐのは仕方ない。それくらいの格差は許容しないと、経済活動自体が不活発になってしまう。

いまの日本の最大の問題点の一つが、こういうイノベーションを起こしうる人材が、古臭い大企業に閉じ込められて、がんじがらめになっているという点にあると思うんだ。先日の「日本の男たちよ、男らしい独立心と矜持を再び持とうではないか」というエントリはそういう人たち向けに書いたんだ。私だって、100%の人間がそうやって独立心を燃やして生きていけると思っているわけじゃない。だが、本来そういうことができる人たちが、飼いならされた羊のように生きるのは、日本の社会に想像できないほどの損害を与えていると思うんだよね。

・・・まあ、と書いてみるけど、「そんなこと言ったって、3ヶ月の履歴書のブランクも問題視するような体質の企業が多い日本で、独立心を持って生きても討ち死にするだけだろう?」とまたいろんな人から叩かれるんだろうなあ・・・やれやれ。さびしい国だね・・・日本は。ただ、いまの国際金融危機で企業の国際的な再編が進んでいて、この危機が終わったあと、アメリカや中国の企業は厳しいリストラを済ませて、筋肉質の財務内容で立ち直る可能性がある。もし日本企業がリストラに本腰を入れないまま、旧態依然とした体制で、この金融危機をやり過ごしてしまうと、今度は本当にアメリカや中国の企業に圧倒されてしまうかもしれない。圧倒されてもいいんだけどね。そこで日本の大企業がいくつも潰れてくれれば、優秀な人材が労働市場に吐き出されることになるし、親や子供たちの「よい学校 => よい会社」幻想も打ち砕かれて、日本社会が新しいステージに突入することになるかもしれない。

結局、新しい世界は焼け野原のなかから生まれてくるしかないのかもしれないしね。