ベトナム南部完全解放記念日

1975年4月30日に、北ベトナムの戦車がサイゴンにある南ベトナムの大統領府になだれ込み、北の勝利という形で、ベトナム戦争終結した。その後この出来事はベトナムの外では「サイゴン陥落」、ベトナムでは「サイゴン解放」と呼ばれることになる。

今日は4月30日。ここサイゴンの通りには、赤地に黄色星のベトナム国旗があふれ、この「解放の日」を祝勝している。私の滞在しているホテルのすぐ隣に、区役所の出張所(正確には phường(坊) という行政単位の役所)があるのだが、入り口に大きな字で書かれた次のような看板が掲げられている。

”Nhiệt liệt chào mừng 34 năm ngày giải phóng hoàn toàn miền Nam, thống nhất
đất nước (30/4/1975 - 30/4/2009)"


南部完全解放、祖国統一34周年熱烈祝賀(1975/4/30 - 2009/4/30)

だが、サイゴン南ベトナムの本拠地であった。平たく言えば、内戦に負けた側に属する。北の人間にとっては、この「解放の日」は単純に慶ぶべき日かもしれないが、南の人間にとっては、複雑な気持ちがあるに違いない。共産党の教育を受けた若い世代はともかく、ベトナム戦争を知る年長者たちにとっては。

南ベトナム政府は確かに腐敗した政権で、南ベトナムの人たちの中にも批判者が多かった。しかし、だからといって北の共産主義者たちに同調する人たちも多くはなかった。「ベトナム戦争が終わった日ーーサイゴン陥落は4月30日:イザ!」にあるように、サイゴン市民の大半は、南北どちらの政府にも肩入れできない、ためらいの中で暮らしていたようである。

私がいま学んでいるベトナム語の教師は、生粋の南部人で聡明な中年女性である。彼女は、自分の過去について多くを語らないが、どうやら彼女の実家は、1975年以前は、小作人を使う裕福な自営農の家族であったらしい。しかし、共産政権の誕生によって農地改革が行われ、多くの土地を失って貧乏になり、相当苦労があったようだ。こういう立場の人たちが、特に南部には多くいたに違いない。彼らは、今日、4月30日の「解放」についてどんな思いを馳せているだろうか。*1

*1:私個人は、北が南に勝利する形でベトナムが統一されたのは悪くなかったと思っている。ベトナムのような発展段階にある国にとって、共産主義政府は、教育的な役割を国民に対して果たしうると思うからだ。もちろん、硬直的な計画経済に固執しないという条件つきだが。ベトナムは1980年代の半ばから、中国型の「経済は市場主義、政治は共産党一党支配」という政策を取っている