メコンデルタへの旅

Asukal さんとバイクでメコンデルタへの旅に出かけた。メコンデルタといっても、ほんの入口、ミートー( My Tho)とベンチェ(Ben Tre) まで行っただけだが。巨大な水量を湛えるミートー川を跨ぐ新しい大橋は高くそびえたち、機能美を誇っていた。この大橋は、日本の資金援助(ODA)で作られている。その一方で、かつてミートーとベンチェを結んでいたフェリーは廃止され、船着場前の商店街はゴーストタウンと化していた。人の流れが変わり、この地域の文化も変容していくだろう。いまの貧しいながらもゆったりしたベトナムが好きな私としては、やや複雑な心境である。

メコンデルタの緑は本当に濃い。まさに緑のじゅうたんを敷き詰めたようである。幅1キロはゆうに超えるだろうミートー川にはいくつかの中洲の島が浮かび、その中の主な交通手段は縦横に張り巡らされた水路である。私も、観光ツアーに参加して、小船で水路を移動した。手漕ぎや小さなモーター付きの船が行き交っている。まさにベトナム戦争のジャングルの風景である。ハンバーガーを食べて育ったアメリカ兵たちがこんなところで大真面目に戦闘をしていたのかと思うと、なんだが滑稽のような気もした。地の利にさとく、小柄で俊敏なベトナム兵たちに勝てるはずがない気がした。(実際にはサイゴンから南のメコンデルタ地域はベトナム戦争の主戦場ではないが、似たような地形はベトナム各所にあるはずだ)いまも、彼らはアフガニスタンの慣れない山岳地帯で、ゲリラ相手に戦っている。これもまたアメリカが勝てる戦争のようには思えないのだが。と、これは関係のない話。

国道沿いの掘っ立て小屋のような食堂で昼飯を食っていると、滝のような雨が、食堂の屋根を叩き始めた。ブリキでできた屋根は、打楽器のように大きな音を立てた。しかし10分ほどすると、嘘のように小降りになった。それは雨というより、まるで神様が、メコンデルタの植物に水撒きをしているようだった。

帰り道は、地方道を取り、途中、別の川をフェリーで渡って、ホーチミン市に帰った。このフェリー、川が悠然と流れて波がないために、まったく揺れないのである。メコン川の上流、カンボジアトンレサップ湖があり、自然の貯水湖として、メコン川の水位の急激な変化を防いでいる。そのため、メコン川には洪水がないそうだ。この恵まれた環境で、植物や動物たちが思いのままに命の花を咲かせている。

この地方道は、穴ぼこだらけのうえに、雨まで降ってきて、バイクも身体も泥だらけになった。おまけに途中で日が暮れてしまい、ほとんど視界まで失われて泣きそうだった。ベトナム人は、そんな道を文句も言わず平然とバイクで走り去っていく。中年の女性が携帯電話を片手に談笑しながら、バイクに乗ってこの恐怖のダートコースに突入してくるのを見たときには唖然とした。人間、慣れとは恐ろしいものだ。それとも、赤ん坊のときからバイクに乗っている「バイク・ネイティブ」なベトナム人だから成せる偉業か。それにしても、バイクで颯爽と走り抜けていくベトナム人の姿は粋である。*1

こんな旅行ができたのも、Asukal さんのご指導と彼の秘密兵器のGPSのおかげである。ありがとうございました。

*1:バイクの前後左右の籠に多数のアヒルが生きたまま、クビだけ突き出して運ばれていた。その数40匹くらいか。こんな狭い空間にこれだけ詰め込めるのかと驚くくらいに詰め込まれていた。アヒルたちの目は、物悲しげにも、あるいは何も考えていないようにも見えた。たまたまベトナムに生まれてしまったアヒルたちが少しだけ気の毒になった