匿名推進派は空気読みすぎなんだろうな

定期的にあがってくるこの話題。ネットの匿名・実名論争。

匿名推進派は誰が自分を守ってるのかわかってない人が多い

英語圏に比べると、とにかくみんな匿名というかハンドルネームでブログを書いたりしている人が多いのが日本語圏のネットの特徴。いろいろ理由はあるんだろうけど、私が思うのは、日本語は、聞き手との関係を決めないと一言もしゃべれないという言語であるということ。つまり、年齢や身分の上下関係が特定されてこそ、はじめて話し始めることができる。なんで、実名で話すのは、そういう無数の社会的配慮の束が付きまとうので、なんとも身重な感じなのかも。そこで匿名ならば、いちどこうした社会的配慮をリセットするので、話しやすいということができるのかもしれない。

とにかく、日本語は文脈依存性というか空気を読まずには話しにくいんだよね・・・。文脈をあえて排除している Twitter はいかにも英語っぽいツールである気がする。

まあ、社会的関係性や文脈に深く依存している言語はアジアには他にもある(韓国語・ベトナム語・ジャワ語など)。韓国やベトナムでも匿名が多くないとつじつまが合わないはずなんだが、すくなくともベトナムではみなだいたい本名でネット活動してるなー。韓国の事情はよくわからない・・・が日本語ほど匿名に依存していない気もする。

ベトナムと日本の違いは、所属集団の縛りの強さ。昨日もベトナム人たちと話してたんだけど、ベトナムでは転職が非常に多い。会社の中でもオープンに「いつどこへ転職する?」なんていう話を同僚としていたりする。日本に比べると所属集団への帰属感がずっと低いのがベトナム社会の特徴。(唯一の例外は親族関係ね)ここらへんも関係してるのかもね。つまり実名で叩かれて会社を辞めざるを得なくなったとしても、「ま、いいか、次探そう(カラッ)」になるのか「どうやって生きていこうか(オロオロ)」になるのかの違いか。

いずれにしろ、日本では匿名の人が多すぎて、ネットの活動が社会的なリアルな活動へつながりにくいのが残念ではある。あと、やっぱり匿名な人たちばかりというのは根暗な感じはするよね。もうちょっとスカッとさわやかに行かないものかなあ。