政治は劇物、取り扱い注意

政治家への個人献金を256倍楽しくする方法 - Rails で行こう!

という前回のエントリで、政策単位で個人政治献金ができる仕組みを提案した。

「カネのかからない政治を!」とお題目を唱えても、現実にはカネがかかるわけで、まともな個人たちが政治家に献金をしないから、あやしげな勢力からカネを得なければならなくなる。政治家にキレイなカネを渡すところから始めないと政治改革はできないと思うのだが・・・。

私がなんでとつぜん政治の話をし始めたかと言うと、日本経済の改革を迅速に進めるためには、政治の力が必要だからだ。いまの民主党のように反市場主義的な姿勢を打ち出せば、実業家たちは日本から逃げ出してしまう。日本への内外の投資が減れば、それだけ雇用も減るということだ。日本経済がふたたび成長路線に戻るためには、それに理解のある政治勢力が力を持たなければならない。

政治家がどうして偉いかといえば、彼らは予算と法律を作るからだ。法治国家たる日本は、法律なしに税金を使って行政機関を動かすことはできない。だから、その絶大なる力を持つ法律を作る権限を、国民が選挙で選んだ人々に与えよう、というのが民主主義の趣旨だ。

「民主主義は大嫌いだ!独裁政治にしろ!」という人は多くないはずだ。そして、選ばれた議員や首長たちは、国民の代表なのだから、本来は敬意を払うべき対象である。あの無責任なマスコミの扇動に乗せられて、鬱憤晴らしのように政治家を叩くのはよくない。まるで、いい子ぶっているように聞こえるかもしれないが、とにかくそれが民主主義なのだから仕方ない。

だが、個人的には政治というのは恐ろしく不気味なものであるとも思う。権力の味というのは、いちど味わうと忘れられないものなのではないか。国民から集めた税金を使って、きわめて強い力を行使することができるのだから。

民主主義の逃れがたい弊害として、政治家と一部の国民は、癒着する。彼らは既得権益者となって、国からの補助金漬けになっており、もうそこから抜け出せない状況だ。麻薬中毒者のように。

企業が補助金をもらうことを「死の接吻」というそうだ。補助金をもらったが最後、顧客ではなく、政府の方を向いて仕事するようになり、結局は顧客に見捨てられ、経営が傾いていくからだ。

政治は難しい。政治は人々を感情的にする。感情的になってしまえば、解決する問題も解決しなくなる。

私は、経済のほうが好きだ。ホリエモンの言うとおり、カネには色がない。そして、カネ勘定をすると、頭がすっと冷えてくる。足りないカネは足りないのだ。それは、なんとかして調達するしかない。どうやって調達するか?・・・という風にだんだん考え方が冷静に現実的になっていく。

若い人たちへ。日本を救うため政治家になるのもいいだろう。しかし、その道は茨の道である、といわざるを得ない。それよりは、世界に目を向けて、どこでも生きていける経済力を身につけたほうが個人としての幸福の近道だと思う。これから日本という大きな船は大海に沈んでいく。溺れることなく自分の人生を生き切ってほしい。