固定的な身分制度では世界で戦えない

前回のエントリは大きな反響を呼んだ。BLOGOS の方には40以上のコメントがついた。

終身雇用という縛りが生む奇形的組織 - Rails で行こう!

いろんな意見を頂き、反対意見を含めて、一つ一つが興味深かった。

私が言っていることは実は簡単なことだ。

難しい話は抜きにして、いまの日本はまるで江戸時代末期の身分制度のようになってはいないか、ということなのだ。優秀な人がいても町人であれば、藩政には参加できない。たとえ武士であっても、家柄が低ければ家老にはなれない。いまの日本は、江戸時代の人事政策にそっくりではないだろうか。

日本が鎖国をしているならそれでもいいだろう。しかし、貿易立国の日本人は世界中の人たちと競争せねばならない。優秀な人材を抜擢できる組織が躍進し、そうでない組織が停滞・衰退していくのは火を見るよりあきらかだろう。

「社会的な安全網がないのに、従業員を社外に放り出すとはけしからん」と息巻く人たちもいた。むしろ、私はいまのままでは日本の人材は流動化しないと見ているのだ。「人材を流動化すべき」と城繁幸氏のようにいいたいのだが、「すべき」といったところで流動化などしないだろう。

私はもっと悲観的で、日本企業は自己改革できないので、ついには市場の力によって、改革を強制されるに至る、と予想している。JAL もさんざん自主的な事業の建て直しを目指したが、ついには会社更正法による法的整理を受けるに至った。あるいは、こういう形で倒産するまえに、売れる部門を投資ファンドに切り売りしながら少しずつ小さくなっていくのかもしれない。

これが明日の多くの日本の大企業の姿ではないだろうか。

だが、希望もある。

日本の法制度がジンバブエのように崩壊しないかぎりは、実質賃金がゆるやかに下落し続けて、最後は国際競争力を取り戻す。企業が優秀な経営者を獲得するまで、資本市場は無能な経営者を追放し続ける(新しい世代の経営者の多くは、若い人や女性や外国人といった、いままで日の当たらないところにいた人たちだろう)。日本における市場の調整力はあまり強くないが、因習的な商習慣や愚かしい政府の税制・規制を乗り越えて、その力が最後はすべてを透徹するのだ。それが、コンクリートの隙間から根を伸ばし、やがてそれを打ち砕く雑草のような市場の貫徹力なのである。(世界でもっとも抑圧的な体制を持つ北朝鮮でさえ、自由市場を黙認せざるをえなくなった現状を見るといい)

最終的には日本は市場によって救われるだろう。ただ、それはかなり先の話であり、その間に大きな混乱は避けられないかもしれないが。