Google を追放した中国政府の心を理解しよう

今日の弾さんはいいことを言っている。

404 Blog Not Found:中国のない世界

Google が中国を去ったそうだ。いま google.cn にアクセスすると google.com.hk(香港)にリダイレクトされる。

中国には、何年も前から万里の長城をもじってグレート・ファイヤーウォールと呼ばれる国内のインターネット検閲システムがあった。いぜんから中国に進出する外国企業は、これに従わざるを得なかったはずだ。どうしていまになって Google が突如として反旗を翻したのか、真意のほどはわからない。

ネット検閲をやめよ、という要求を中国政府が呑めないだろうということは、最初から Google 自身にもわかっていたはずだ。Google は信条に従って、堂々と中国を退場した。それはそれでよかったのではないか。ただし、中国にはすでに baidu.cn をはじめ代替的なサービスはいくらでもあるし、Google の撤退が中国のインターネットへ与える技術的影響はそれほど大きくないだろう。

ネット検閲をやめなかった中国は、残念ではある。私もいぜん中国に住んでいるとき、この検閲にはさんざん悩まされたからだ。しかし、中国政府を責める気にはなれない。私は、中国は決して好きではないが、日本人たちの浅薄な意見の前ではどうしても中国政府を擁護する立場になってしまう。

中国に一度住んでみると、中国がどれほど多様性に満ちた国であるかよくわかるはずだ。多民族。貧富の差。同じ漢民族でも各省で別の方言をしゃべり性格が異なる。日本のようにコンパクトにまとまっていて、きわめて同質的であり、中央集権的な国とはまったく異なるのだ。

中国の中央部の各省は、本来はヨーロッパのように別々の民族国家として進化すべきだったのに、おそらくは漢字という優れた表意文字のおかげで、漢民族という形で一つにまとまった。そして、そのまわりには同化を拒む異民族たちが住んでいた。漢民族と辺境の異民族との交流が中国の歴史を作ってきた。

私は北京政府はよくやっていると思っている。この30年間、中国を飛躍的に豊かにしたのは、紛れもない彼らの手柄だ。政府の第一の仕事は、人民を飢えさせないことだ。そういう意味で、中国政府は合格点以上の仕事をしてきた。(その意味ではこの20年の日本政府は落第点である)

1960年代後半から1970年代前半の文化大革命があまりにひどかったために、人々の間に「もう政治はうんざりだ。経済建設を優先させよう」という空気がひろがった。政治的分子は、1989年の天安門事件で最終的に完全につぶされた。

中国は国内に鋭い対立点を多数抱えこんでいる。台湾・チベットウイグル等の周縁部の分離独立運動。農村対都市。「貧しい労働者」対「金持ちの資本家」。地方政府対中央政府漢民族主体の各省の間のライバル意識。客家(ハッカ)と呼ばれる不思議な漢民族の一派もいる。

こうした事情の下で、政治的には締め付けによる安定、経済は自由開放で、この30年間の中国はいままでやってきた。北京の高官たちは、政治的な締め付けを緩めたとたんに、ありとあらゆる古い政治的対立が中国各地から噴出することをもっとも恐れている。彼らは、中国を徹底的に経済的に豊かにして、もはや政治的問題が人々の関心の中心にはならないよう、必死の努力を続けている。時間との戦いなのだ。経済的成熟が先か、それとも政治的崩壊が先なのか。

こんな中国政府にとって、ネット検閲や Google の撤退などの負の側面は、たいした問題ではないのだ。安定こそがすべてに優先するからだ。

私は、もちろん中国政府がいつの日か、完全な言論の自由を保障し、選挙によって国民の代表を選ぶ民主主義を採用することを、心の底から望んでいる。ただし、それが実現するまで長い時間がかかるだろう。私たちは忍耐強く待たなければならない。それまで、冷静な眼差しで中国というこの巨大な隣国を見守り続けようじゃないか。