「組織に酔う」日本人

先日から日本的組織にユニークな要素を考え続けている。いまふと思いついた。日本人は「組織に酔う」のだ。「組織酔い」の中で簡単に自分自身を見失う。

ベトナムのなじみのカフェでウェートレスと視線が合うと、にっこり微笑んでくれる。しかし、この笑顔は彼女がウェートレスで私が客だからではない。私の存在に見慣れたので、仕事とは関係ない一人の人間として私に微笑みかけているのだ。その瞬間、彼女は素の人間に戻ってしまっている。

ベトナム人は決して「組織に酔わない」。組織のために自分の命を捨てたりしない。彼らが命を捨てるのは家族のためだけであり、決して他人の集合体である組織などのためではない。組織の中で、なぜ自分がそこにいるのか、常に覚めた意識を持っている。

私が日本の新卒一括採用のプロセス全体に激しい違和感を感じるのは、採用側はすでに「組織に泥酔した」人々であり、学生たちに同様に組織に酔って我を忘れることを要求するからだ。こんな光景は日本以外では絶対に見ることができない。

これは、素面の人間が、泥酔して、くだをまいている人間を見るときに感じる嫌悪感と同じだ。第一に彼らは合理的な判断力を失っている。第二に彼らは「公」に対する迷惑を顧みることをしない。第三に、愚にもつかないことを大声で叫んでいる。

日本以外のたいていの国では、「組織に酔う」習慣がないので、組織酔いというものがこの世にあること自体、気づいていないかもしれない。彼らが、日本で暮らし始めたら、さぞかし驚くことだろう。

なぜ日本人だけがこれほどに「組織に酔い」やすいのか、私にはわからない。おそらくは日本文化が寄与している部分が大きいものと思われる。どうしたら日本人を素面に戻せるのだろうか。

(このエントリは私のツィートに基づいています)