商人は「ジャーナリスト」だ

ジャーナリストは、社会で起きた重要な事件について、取材を行い、その詳細に関する情報を広く大衆へ伝達する人々である。端的にいえば、情報を地点 A から地点 B へ移動させることによって、報酬を得ている人々である。

遠隔地交易に携わっている商人もまたジャーナリストに似ている、と言ったら馬鹿げて聞こえるだろうか。別に、商人が景気や災害のニュースをもたらすから、ジャーナリストだと言っているわけではない。モノを商うだけで、すでに情報を伝達する「ジャーナリスト」の役割を果たしているのである。

ハイエクは、有名な論文「社会における知識の利用」において、市場経済とは、市場の参加者に分散して所有されている情報を、要約しつつ社会全体に拡散するプロセスであると述べた。

驚くべきことは、ある原料の欠乏のようなケースにおいて、何ひとつ命令が発せられることなく、おそらくほんの一握りの人しかその原因を知っていないのに、何の何兵衛であるかは何ヶ月調査しても確かめようのない幾十万の人々が、その原料もしくはその原料の製品を、いままでよりも節約して使用するようにさせられることである。すなわち、かれらは正しい方向に動くのである
(F.A. ハイエク「市場・知識・自由」)

地点 A で、商品 X が生産されていたとする。何らかの自然的・社会的理由によって、商品 X の生産が困難になり、生産量が減少したとしよう。地点 A において、この商品 X への選好が以前と同様であるとしたら、供給が制約されているため、価格が上昇する。

そこに商人M が登場する。商人 M は、商品 X について、地点 B より地点 A で高く売られていることを発見することになる。商人 M は、地点B で商品 X を安く仕入れ、地点 A で高く売ろうとするだろう。そうやって、商人M は実際に利益を得る。

その結果何が起こるか。地点 B においては、商品 X の需要が増大する。その結果、価格が上昇する。そして、地点 B の人々は商品 X を以前より節約して使用しなければならないことを知ることになる。

地点 A における商品 X の価格の高騰は、地点 B に伝播したことになる。ある商品の高価格が需要者に送るメッセージは「この商品はいまや経済において相対的に希少になったのだから、節約して使いなさい」ということである。商人 M はこのメッセージ(情報)を地点 A から地点 B へ運んだのだ。商人 M が得た利益は、その情報伝達サービスに対する対価と考えることができるのではないか。

ハイエクが批判したように、古典的な経済学では、こういう裁定(arbitrage)が完了した均衡状態だけを語っていた。しかし、現実には、絶えず経済の外で新しい出来事が起こり続ける。均衡に到達しようとするたびに、こうした外の力によって均衡から遠ざけられる。商人の利潤は、裁定活動を通じて価格を変化させることで、節約すべき財についての情報を経済全体に拡散させる動的な過程からやってくるのだ。最終的な均衡状態は、彼岸にある空想的な状態にすぎず、そこへ絶えず近づこうとする動的過程こそが経済活動の本質なのではないか。

ジャーナリストの定義は、情報を地点 A から地点 B へ移動させることによって、報酬を得ている人々であった。モノを商う商人たちに、「報道活動」しているという意識は全くないだろうが、実は、価格という、経済上、最も重要な要約情報を伝達するジャーナリストたちなのである。