日本人は「フクシマ」の再来を回避できるのか

ある政府高官が事故を起こした福島第一原発の避難地域について「当面住めないだろう。十年住めないのか、二十年住めないのか、ということになってくる」と語ったという。これに対して福島県知事や飯館村長が地元の神経を逆なでする発言と激怒した。

不用意な発言だと思う。この政府高官は嘘は言っていない。確かにそのとおりかもしれない。だが、影響を受ける地元の人々にとっては死活問題だ。正式のルートを通じて、誠意をもって現状を説明すべきだろう。

土壌改善や水質改善の手段を取らない限り、福島第一原発周囲数百平方キロの土地が人間の住めない場所になるのはほぼ確実。「計画的避難指示」などという分かりにくい言葉ではなく事実上移住しなければならない現実を政府も国民に勇気を持って語りかけるべき時期ではないか。

ところで一般国民は、福島の現状をどう思っているのだろうか?原発のほとぼりが冷め次第、避難民は家に帰れると思っているのか。それとも放射能に汚染された地域にはもう人は住めないと思っているのか。原発容認派はどう考えつつまだ原発が必要だと言っているのだろうか。

国民が、原発事故により複数の市町村が事実上消滅し、数万人が移住を余儀なくされることを明確に知るとき、被災者を思って涙し怒るだろうか。それとも「私たちの街でなくてよかった」と胸をなでおろし、生活水準を維持するためにはやはり原発は必要悪という結論に至るのか。

人それぞれの考えがあるだろう。みな自分の思う道を行けばいい。だが私は絶対に原発を許さない。数十万人の人生を直接に間接に永遠に変えてしまったこの悪魔の技術を。

日本人はこの厳しい現実からいまだに目を背け続けているように思える。東京・高円寺で1万5千人の脱原発デモがあってもマスコミは報道すらしない。この信じられない規模の事故に比べて、デモに参加する日本人は圧倒的少数派で、多くの人たちは行動する人々に冷ややかな視線を送っている。同じ4月10日に行われた統一地方選では原発推進派の知事が次々と当選。福島原発事故の収束のメドも立たないのに東電清水社長は「柏崎原発3号機の年内再開を目指す」と発言。

日本人はこの福島原発事故の教訓を未来に生かすことができるのだろうか。

日本人は「ヒロシマ」が起こっても戦争をやめられず「ナガサキ」を招いた。日本人は「フクシマ」が起こっても原発をやめられず「?」を招くのだろうか。?に入るのは「ハマオカ」?「モンジュ」?それとも…。