ひさしぶりの韓国

5月14日から17日まで、2年半ぶりに韓国を訪れた。ソウルには、カナダ時代に親交を深めた韓国人の友人たちが数人住んでいる。彼らにひさしぶりに会いたくなったのだ。

ソウルはますます新しい建物が増えて、垢抜けて美しくなっていた。表面的にはもう東京と何も変わらない。私が1998年に訪問したときとの大きな違いは、若い男性のファンションがとてもおしゃれになったこと。私と同年配の男たちは、質実剛健という感じだったので、この20年で大きな世代ギャップば生じたことが分かる。

2003年に延世大学の付属語学学校で韓国語を学んだことがある。新村(シンチョン)と呼ばれるソウルの北西のエリアにある。私はこの学校の近くに下宿をして通学した。新村は、東京でいうと高田馬場のような雰囲気の場所で、レストラン・カフェ・居酒屋が立ち並び、いつも若い学生たちでごった返している。楽しかった日々を思い出しながら散策をした。

日本風のレストランや居酒屋が増えている。たぶんビザなしで日本に行けるようになり、多くの韓国人が日本風の飲食サービスに触れた影響ではなかろうか。「新宿さぼてん」や「マリオンクレープ」など日本の資本も直接進出している様子。それなりに流行っているようだ。


(新村の隣、梨大(イデ)エリアで)

仁川空港のあるあたりは、小さな群島が海に浮かぶ風光明媚な地である。対北特殊部隊の訓練場があったシルミドという小さな島のすぐそばまで行った。この話は映画にもなっており、それなりヒットしたようだ。とても静かな美しい場所なのだが、北朝鮮までの国境まで50km もない、軍事的には緊張したエリアである。韓国の繁栄の陰で、同じ民族でありながら餓死者を出すような失敗した経済を持つ国がすぐそばにある。命運を分けたのは政治なのだ。いまの迷走する日本の政治状況を思い出してふと暗い気持ちになった。


(お菓子をつかんで腕を上げるとカモメが近づいてくる)


シルミドを望む)

私の韓国人の友人たちは、数カ国語を話すような知的な人たちなのだが、「今度は東京に遊びにおいで」と誘うと「放射能が…」と顔をしかめる。韓国人たちは、事故を起こした福島第一原発から自分の国に放射能が飛んでこないかと本気で心配している。彼らにとって東京は完全に汚染エリアなのだ。実際に放射性セシウムがかなり降っているので、私も適当なことは言えない。「東京は、1960年代の地上核実験の最悪期と同レベルの汚染らしいよ」と弁解するのが精一杯だった。空港の入国審査場では「希望者は放射能検査を受けられます」という看板が立っている。ソウルはいま日本に行き損なった中国人観光客で活況だそうだ。日本の観光業者が受けている打撃は計り知れないだろう。

韓国人たちは客人を熱烈にもてなすことでは有名である。一緒に食事に行ってもまず支払いをさせてくれない。客人は負債を負うことになる。反対に、もてなす立場に立つときに、すべて奢ってやり、負債を返すのだ。文化人類学で言うとおり、この負債の円環が人々の絆を強めるのに役立っている。そういうわけで、友人たちには気持ちよく奢ってもらうことにした。負債の気持ちを忘れまいと誓いつつ。