2年半ぶりのベトナムの農村

ホーチミン市の北東150km、バーリア・ブンタウ省にビンチャウ(Binh Chau)という村がある。白砂の海浜に接するのどかで美しいベトナムの農村である。ホーチミン市で出会った友人が、妻の出産のため、ビンチャウにある実家に引っ越してしまったので、ホーチミン市からおんぼろバスに乗って会いに行ったというわけだ。

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(「電柱」)

私の友人の名前をニャットさんという。2年半前にもここを訪れたことがあってブログに書いたことがある。彼の奥さん(当時はまだ結婚していなかった)は、3年前、留学生として日本にいて、私のベトナム語の先生だった。そういうわけで彼女は私がベトナムに渡ったとき、彼氏であるニャットさんを紹介してくれた。

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(スシ(左)とヤキ(右)。ニャットさん命名。ヤキは「焼き」らしいが詳細不明)

ニャットさんの80歳すぎのおばあさんがすぐ近くの小屋に暮らしている。以前、訪れた時、末期がんということで余命いくばくもないと言われていた。私も実際にお会いしたが、本当に苦しそうだった。ところがその後、奇跡の回復を遂げて、いまはすっかり元気になった。今回お会いしたが、同じ人物とは思えない。びっくりしたけど、本当によかった。

泊まる部屋に案内されて、床に寝転がると、壁に洒落たトカゲの縫いぐるみがぶら下がっている。体長20センチくらい。おしゃれだなーと近づいてよく見ると本物だった!おそるべし。さすがベトナム

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その後、ニャットさんと彼のお父さん、その他、親戚らしき男たち数人で、近所の海辺に出かけた。白砂の向こうに濃い青の海と薄い青の空が広がっていて、まぶしかった。海辺の道路は比較的舗装されたばかりの状態のよい道路だった。そこを古いバイク3台で疾走する。

何をするのかと思えば、磯ガニと小さな貝を取るのだ。自分たちの食卓に並べるつもりなのだ。少しカニと貝をとっては、海にぷかぷか浮かんで遊ぶ。そして気が向いたらまたカニと貝を取り始める。

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(これから漁の開始!)

こんな自然体で農村で仕事をしているから、都会に出て来ても時間をきちんと守ることができないのだろう。一部の日本人たちはベトナム人のそんな性質にひどく腹を立てているのだが、彼らの出自までたどって考えれば了解できるものだ。

2年半ぶりに同じ村を訪れたのだが、前回より道ばたに捨てられているゴミが増えたような気がした。ベトナムの農家の人たちは平気でゴミを道ばたに捨てる。でも道徳的ではないと非難するには当たらない。もともとプラスチックのゴミを出すようなライフスタイルじゃなかったから、以前は問題にならなかったのだ。ところが消費文化が成熟し都市化が進むにつれて、ゴミの量は加速度的に増えて行き、大きな社会問題になる。ベトナムの農村はその段階に達する直前というところだろう。

おもえば原子力発電も同じノリで始まったのかもしれない。1970年代に日本で原発が本格的に開始されたとき、使用済み核燃料の処置については「そのうち何とかなるだろう」といういいかげんな方針だった。当時は農村にはまだ若者がいて、都会に出るかどうするか迷っていた頃だ。社会全体に、ゴミが問題にならなかった昔の農村の雰囲気が残っていて、ゴミの処理についてはそれほど真剣に考えられなかったのかもしれない。核のゴミも同様、というわけだ。

緑豊かなこの村で自然の本質について考えていた。その本質的な制御不能性について。農業は、いまでは地味な産業のように思われているが、本来、気候まかせで、収穫がきわめて不安定なギャンブルみたいな産業なのだ(いちばん似ているのは証券投資かもしれない…)。それにうんざりした農民たちが都市に出てきて、化石燃料による人工的な生産システムを作った。

人類ははじめて生産過程を完全に制御できるようになった。人工物を増やして行き、その中で暮らすことで自然の気まぐれを避けて安定した暮らしを得ようという思想の延長線上に原子力発電があった。ところが今回、福島第一原発が暴走し、炉心溶融によって大量の核物質が「自然に戻って」しまったことで、私たちが制御できる範囲というのはこの世界で極めて限定された一部分にすぎないことに改めて気づかされた。

太陽光発電風力発電等の自然エネルギーは気候任せで当てにならない」という人もいる。だが、自然の本質は人間には制御できない点にあるのだ。制御できない自然を相手に賢く立ち回り自分たちの生活をより安全で便利なものにする。これが人類の歴史そのものではないか。自然エネルギーの不安定性を嘲笑する人たちには次の言葉を贈りたい。「あなたには事故を起こし『自然に還ってしまった』原子炉の核物質を制御できますか?」