今度こそシリコンバレーで働くぞ!

今日は、本当に個人的なことを書く。

結論からいうとシリコンバレーで今度こそ本気で仕事を探してみることにした。ふたたび IT エンジニアとして。

私はこの4年間ほど、このブログを通じて私の個人的な部分を含めてかなり自分をさらしてきたつもりだ。だが、たぶん私以外にこの4年間の私の足取りをすべて知っている人間はいないはずだ(当然だが)。一言でいえば、迷走に次ぐ迷走である。正直自分では情けなく思っている。私はたぶん幼少期に何らかの精神的問題を負っており、その問題を克服しようという努力の過程で実にさまざまな方向に(物理的・精神的に)放浪した。その過程で私はいろんな人たちに恩を受けながらその恩を返せないばかりかいろいろ迷惑を掛けてしまった。これは私の心に強い痛みを残した。

今年のはじめベトナムから戻って来て意気消沈の日々が続いた。自責の念も強かった。だが、結局のところ私はすべてをあきらめるにはまだ若すぎるし、たとえ何度挫折しようと先に進んで行くしかないとようやく最近思えるようになってきた。

私は、カッコわるい話、ブレブレの人間で、いろんな試みが中途半端に終わってしまっている。そんな移り気な人間が一つだけ確実に愛していると言えるものがある。それはインターネットである。私は、1994年にインターネットに出会った瞬間に恋に落ちてしまった。いまもその気持ちは変わらない。私は、梅田望夫*1主義者で、インターネットの向こう側にある世界を信じることに決めた人間である。ネットはいろいろ残念なことも多いが、私は、インターネット上に自分自身をさらけだし、そこからいろんな人たちとつながっていくことの可能性を信じている。私は、インターネットを使っているのではない。インターネットの中に住んでいるのだ。私にとってインターネットは人生そのものである。

私は自分自身のことをネットにさらすことに抵抗をまったく覚えないわけではない。いまでも怖いと思うときはある。だが、私は先に進んで行くつもりだ。ネットの向こう側には私の知らない世界が広がっている。新しいものに触れるには、古い自分を乗り越えて行かなくてはならない。

私は、ベトナムから帰って来た後、次に何をするべきか真剣に考えた。日本で暮らしつづけることも考えたが、どうも人生を賭けるに値する対象がないように思われた。1980年代ならいざ知らず、経済が斜陽化する中、同質的で排他的な日本人ばかりのこの国は、世界の中では田舎というしかない。私は、結局のところ、居心地はよいが大きく成長する機会もない生温い環境で一生を過ごせるタイプではないのだろう。

2003年にカナダを去った時からこの8年間、私は勃興するアジア経済に深い関心を寄せていた。だがベトナムで深刻な政治的腐敗の現実を見るにつけ、アジア経済の将来を簡単に楽観視することもできないと考えるようになった。アジアのこの成長がいつまで続くか分からないが、いずれ基層にある旧態依然とした政治体制と深刻な摩擦を引き起こすときがやってくる。アジアはもう他の人たちに任せることにしようと思った。

欧州に行こうか?いや欧州は遠いし、親しみも興味もあまりない。欧州は濃密すぎる歴史を引きずっているという点でアジアと大差はない。

日本も欧州も新興国もダメとしたら残りは一つしかない。米国だ。

私は、この IT の仕事を始めたときからずっと米国シリコンバレーに憧れてきた。インターネットを育んできた聖地。12年前、本当は、カナダで英語を学んだあとシリコンバレーに行くつもりだったのだが、結局、カナダに居座ることになってしまった。3年前も本気でシリコンバレーに行こうと思ったのだが、当時はビザの状況があまりよくなかった。いくら仕事のオファーをもらってもビザが発給されなければ働けないのだ。ところが、この3年間で米国の H1B ビザ(熟練労働者用就労ビザ)を取り巻く状況が大きく変わったらしい。こうした熟練労働者の主力は中国人・インド人だが、米国経済がリーマンショック以降ぱっとしないのと対照的に本国経済が絶好調なので、ずいぶん母国に戻ったらしいのだ(あるいは中国・インドからやってこなくなった)。最近はむしろ H1B の発給枠が余り気味だという。ビザを巡る状況はめまぐるしく変化するのが常とはいえ、本当に変わったものだ。

ビザの状況が外国人にとって有利な一方で、現在、シリコンバレーは景気がよいらしい。シリコンバレーにおける外国人の就職の状況は3年前に比べてかなり良くなっている。状況変化に勇気づけられて私もシリコンバレーでの就職に挑戦してみることにした。現在、サンフランシスコ・ベイエリアにあるウェブ系企業に応募中で、なんとか書類審査は通過した。電話面接を待っているところだ。米国企業の場合、ふるい落としのプロセスは延々と続くので、もし採用されるとしたら、これから先、少なくとも 5回以上の面接は覚悟しなければならないだろうが。

3年前、シリコンバレーに挑戦しようと思ったときと比べて、個人的状況における大変化は、ソーシャルネットワークを通じた人脈の形成だろう。3年前、私のブログは一部の技術系の人たちの間に知られているにすぎなかった。ところがベトナムで私が日本社会に対する批評を始めてから、技術系非技術系を問わず多様な読者を持つようになった。ブログやツィッターを通じて知り合った方々に、いまシリコンバレー就職の指南を受けている。本当にありがたい話で、感謝の言葉がない。私は、この4年間、本当にインターネットのソーシャルネットワークによって生かされているとしか言いようがない。

実は、今月の末、現地調査のためベイエリア(≒シリコンバレー)を訪れるつもりだ。8月30日から9月6日の期間、私はサンフランシスコ・ベイエリアにいますので、もしご興味のある方はお声をお掛けください。私の電子メールは→eijisakai@gmail.comLinked In に簡単な職歴が載せてありますより個人的な私の半生はこちら

*1:梅田さんは3年ほど前まで、インターネットで活発な言論活動を行っていたが今はすっかり鳴りを潜めている。どうしてしまったんだろうか?