そうさ、きみもスティーブ・ジョブスの追悼文を書くべきなんだ
むしゃくしゃすることがあったし、こんなアホなこと(気持ちは分からんでもないが)ことを書く人もいるので、
not Haruki - Yes, You Should Write an Obituary for Steve Jobs
を和訳してみた。作者の村上さんの許可はとっていないが、まあ、許してくれるだろう。私もまさに同じ気持ちだからだ。カジュアルな会話体という形で、細かいことは考えず意訳してある。英語が理解できるひとは原文にあたってみた方がいい。村上さんにしてはめずらしく、そんなに難しい言い回しはしていないから。
そうさ、きみもスティーブ・ジョブスの追悼文を書くべきなんだ
スティーブ・ジョブスが死んでからというもの、ものすごい数の「どうでもいい無名な連中」が、誰も読みもしないような追悼文を書いている、という苦情を目にする。
まったくくだらない話だ。どこの誰でも、そしてそのおばあちゃんだって、スティーブ・ジョブスの追悼文を書く権利がある。どうしてかって?
スティーブ・ジョブスは偶像だったからさ。いや彼はいまだに偶像でありつづけている。そして偶像に対しては、まったく平凡な僕たちだって、心の通った関係を持ちうるんだ。そう、それは一方通行の気持ちかもしれないけど、とにかく精神的で個人的なつながりは本物なんだ。
ある意味で、それは神に対する関係に近い。僕たちが神様を個人的に知ってるかって?まさか。でも、神の実在という考えに心を動かされたことはあるかい?それはあるよね。
言っておくけど、僕のような不可知論者でさえ神をたとえに出しているんだよ。
僕たちは、たったいま偶像を失った。僕たちは、ひょっとしたら血のつながった親戚より重要な人を失ったんだ。彼は僕たちの人生に感動をもたらした。
当然、僕たちには悼む権利がある。当然、僕たちには嘆く権利がある。当然、僕たちにはスティーブ・ジョブスのために追悼文を書く権利がある。
たったいま、僕たちの人生で重要な何かを失った。書くことは、この喪失を前にして心を慰める方法なんだ。僕たちの考えを外に出そう - 僕たちの魂の奥深くから湧き起こってくる嘆きを吐き出そう。
スティーブ・ジョブスの追悼文を書きたいなら、絶対に書くべきだ。ただし、たった2秒間でも褒められようなんて期待しないことだ。
僕は全く気にしないけどね。僕の言葉は自分のために書いたものだ。
追記:
(原作者の村上さんのご指摘に従って一部修正しました。ありがとうございます)