パブリック・マン宣言

41歳の日本人の男はいかに生きるべきか。その社会通念は、日本の中でも住む地域や所属する社会階級によって異なるのかもしれない。私は、東京のいい大学を卒業したので、同級生たちはたいてい大企業や役所で働いている。多くは家族を持ち、仕事に子育てに忙しく暮らしている。かつて、同じような立場で生活していた私は、いつしか彼らと遠くかけ離れた人生を歩むようになった。

私は大学を卒業して入った都市銀行を半年で退社。1年間フリーターを経験した後は、ずっと IT 技術者としてメシを食ってきた。私は零細ソフトウェアハウスの技術者としてスタートしたので、当然ながら、孫請等の仕事が多かった。いわゆる下流の仕事だ。昔は、B2C のウェブサービスなんて存在しなかったから、大企業の社内システムを構築する仕事が主だった。2005年あたりに、インド系ソフトウェア会社でブリッジエンジニアのような仕事をした後、ウェブ制作業で独立。ソフトカルチャーという会社を作って、いくつかのウェブ制作に携わった。これはそれなりにいいカネになった。

ただいろいろ限界も味わった。ウェブ制作はカネにはなるけれど、体力的にかなりキツかった。これ以上カネを稼ごうとしてもやはり単価的に限界がある。
(ここらへんの心境は、Start Small, Stay Small: A Developer's Guide to Launching a Startupに余すところなく見事に表現されている。著者自身がベテランの IT 技術者だからだ。独立を目指す IT エンジニアにはお勧め)

私は、次の展開として、人を使って商売をすることを考えた。私は、ベトナムに行って、オフショア開発の会社を作ることを考えた。私は実際にベトナムホーチミン市に行って、会社を作ろうと試みた。…だが実際には会社を作ることができなかった。理由はいろいろあるが、一番大きい理由は大企業相手の受託開発業に心底嫌気が差していたからだろう。私は、IT から足を洗うことを考えて、US CPA(米国公認会計士試験)を受けた。約半年の勉強の後、全4科目一発合格。私は、ベトナムで会計 big 4 に対して就職活動をしたものの、どこも採用してくれなかった。私は、ベトナムにいる理由を失い、日本に帰ってきた。

方向性を見失っていた私は、長年の夢、米国のシリコンバレーで就職することを考えた。昨年の夏、運良く Twitter 社の求人を見た私は、これに応募。幸い書類選考・電話選考を通過して、サンフランシスコの本社で入社面接を受けてきた。技術的な問題をひたすら解きまくる厳しい面接だったが、Twitter の優秀なエンジニアたちと話をするのは楽しかった。残念ながら、結果は不採用だったけれども。

シリコンバレーには憧れを残しつつも、私の心に引っかかることがあった。米国に長期滞在するためには、就労ビザを取得しなければならない。つまり、どこかの会社(おそらくは大企業)に雇用されなければ、就労ビザは取れないのである。だが、私は長年のフリーランス生活に慣れていて、いまさら、会社勤めするのは嫌だった。要するに、米国に長期滞在する方法はいまのところぜんぜんないわけだ(フルタイムの大学生になるつもりもないしね)。

その後、フィリピン・ベトナム等を巡って、やっぱり東南アジアは楽しいなと思った。正直な話、米国で長期滞在しようと思えば、ビザの問題から始まって、いろいろ頭痛の種が尽きない。私は、むしろインターネットからだけカネを稼いで、自由にいろんなところに住むほうがはるかに魅力的な人生に思えた。いまは、インターネットの普及によって、世界経済が大きく変わる転換期で、これからは私のように考える人が必ず増えるだろう。いまはそういう生き方はごく少数の人たちしか選択できないが、技術進歩と社会通念の変化に伴い、10年後にはいまよりはるかに容易になるだろう。

パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ

パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ

ジェフ・ジャービスは、これからの時代、パブリック(完全情報公開)がデフォルトになると喝破した。彼の偉いところは、理屈だけではなく、自らの身体でその仮説を検証しようするところだ(「露出社会」論者の@sayuritamaki さんを彷彿させる)。彼は、自分の前立腺ガンをブログで告白した。どんな手術を受け、経過がどうであるか余すところなく発表した。男性器に関わる問題なので、最初は本人も相当抵抗があっただろう。だが、ブログ読者からの反響は圧倒的に好意的であった(ごく少数の人々が「あまりに公開しすぎる」「ネット露出狂だ」と文句をつけたらしいが)。

私は、ジェフ・ジャービスの勇気を見習いたいと思う。そして、私も彼同様にパブリック・マン(情報公開を基本とする人間)になりたい。

これから、ネット全体を相手に生活の糧を得よう。「生活の糧」には2種類ある。

  1. 一つは、人間の肉体に関わるもの。食料・衣服・住居だ。これらは、端的にモノと表現することができる。モノはカネと交換される。つまりカネが必要だ。
  2. もう一つは、人間の精神に関わるもの。人から認められたい。自分の心底好きな活動をしたい。これらを端的に評判と呼ぶことにしよう。

私は、後者の精神的満足をネットからたくさん得てきた。私のブログやツイートを読んでくれた方々からの反響にどれほど励まされたかわからない。この場を借りて私とネット上で交流のある人たちに心から感謝したい。

一方で、前者のカネをネットから得る部分はどうだろうか。この点については道半ばだ。今日はこの件について簡単に説明したい。

私は、現在アマゾンアフィリエイトGoogle Adsense から月5000円〜50000円程度の収入がある。原則として、いまは受託開発の仕事は引き合いがあっても断っているので、いまはこれが収入のすべてだ。

一方で支出のほうだが…。私はいま母の家に厄介になっていて、食費と光熱費として、母に月3万円渡している。これは、食費と光熱費の原価トントンというところだろう。本来ならさらに部屋代を払うべきところだが、ここは免除してもらっている。この部分で俗にいう「パラサイト」と言われても仕方ないだろう。

その一方で、母は法律系の仕事をしているので、母にさまざまな IT サポートをしている。これは、外部から専門家を雇えばそれなりのカネを払わなければならないはずなので、この部分はある程度、家賃と相殺、というところだろうか。

その他は、

  • 通信費 5,000円
  • 医療保険 5,000円
  • その他諸々 10,000円

の計2万円。

固定費は上記5万円ということになる。この他、変動的な支出が月に2-3万円程度あるだろう。

私には、150万円の銀行預金がある。不動産や車は所有していないので、パソコン等身の回りのものを除けば、これが私の全財産だ。

私は現在、支出を極端に切り詰めているので、いまのような生活を続けるならば、あと半年くらいなら問題なく暮らせるとは思う。ただ、比較的低予算で暮らせる私としても、いまの予算制約はかなり厳しいので、なんとか月10万円程度の定期収入をネット上で得たい。私の夢は、地球上の好きな場所に住みながら、仕事をしつつ生活することなので、この収入は地理的制約が少ないものでなければならない。

私は、かつてソフトウェアの受託開発でカネを稼いでいた。幸い、いまだにいろんな方から仕事をしないかと声を掛けていただくのだが、感謝しつつもすべてお断りしている。なぜなら、私は受託開発を楽しんだことが一度もないからだ。特に大企業の仕事を孫請けでやるような仕事は、かなりつらいものが多い。仕様変更が頻繁に入るので、手離れが悪いのだ。ソフトウェア開発はきわめて複雑な作業で、意思疎通が難しい。行き違いがあるたびに、人間関係にひびが入る。私はもう顧客の気分を害したくないのだ。

それ以前に、私がソフトウェア開発自体を楽しめなくなっている部分も大きい。若いころはプログラミング自体が楽しみだった。いまはできれば避けて通りたい面倒事になっている。書評人のように自分のシステムを開発をするのは、それなりに楽しめるのだが、正直言って、他人が作るシステムを手伝うのはもうあまり興味が持てないだろう。

私の職業人生の最大の誤りは、カネが稼げるというだけの理由で、心から好きになれないこのソフトウェア受託開発の仕事を長く続けてしまったことだろう。いまはもう限界に達している。いまやめなくても、いずれやめなければならないだろう。おそろしくても新しい一歩を踏み出さなければならないときなのだ。

私が本当に好きなことはなんだろうと考えてみた。実は私は話すことが好きらしい。ソフトウェア開発をやっていたころも、一番楽しいのは顧客の相談を受けているときだった。

そこで私はこれから、なんらかのコンサルティング業務をやるつもりだ。それを Skype のビデオ通話でやる。ちょうどオンライン英会話と同じ雰囲気で、1時間いくらのチャージ。金額は相当抑えるつもり。自分でいうのも何だか私は引出しが非常に広いので、いろんな相談に乗れると思う。相談の内容をあらかじめ絞り込むべきなのか、それとも広く受けるべきなのか、そこらへんにはまだ迷いがあるけれども。わずかな金額であれば、物事が分かっているひとに聞いてしまった方が早いということが世の中にはたくさんある。そういう人たちのお役に立ちつつ、わずかばかりのお金がいただければ最高だ。

書評人ももちろん続けて行く。無理して急速に大きくするつもりはないので、このサイトが収益化するのはまだ先だと思う。書評人は社会的意義のあるサイトだと信じているから、これからも充実させていきたい。

パプリックになることは誰にとっても最初はおそろしい。だが私はこの恐怖を乗り越えて先に進んで行きたい。正直、40歳にもなって、月に数万円しか稼いでいないと告白するのは恥ずかしい。だが、私は未来につながらないカネを稼ぐだけの仕事をもうするつもりはないし、そのためには収入は少ない時期も甘受するしかない。第一、見栄や虚勢を張りたくない。インターネットは決して忘れない、とジェフ・ジャービスは言った。インターネット(≒評価経済)はウソが突き通せる場所ではない。困ったら困ったという声を上げよう。そうすれば誰かが助言してくれる。大切なのはいつでも正直に、意図的に誰かを操作したり傷つけようとしないことだ。

私はパブリック・マンになるつもりだ。もしこれで餓死するならば、その光景をソーシャル・ネットで中継する。まさに「ソーシャル餓死」。大勢の人たちに見守られて(あるいは呆れられて)死ぬならそれも本望だ。そこまで考えて腹が据わった。もっとも、それだけの意思力があれば、そのずっと手前で新しい展開があるはずと私は信じている。

(後日記)
男が40歳すぎて親の家に独身で住んでいて、光熱費食費は払っていても(帰属)家賃を納めていないことを以て「パラサイト」と後ろめたげに書いたけれども、よくよく考えると、互いに精神的に独立したうえで、親子が十分な協力関係が持てるならば、何ら恥じることはないんじゃないだろうか。私と母の関係はまさにそういう感じだ。無理に一人暮らしすることにはさほど意味がない。カネもエネルギーもかかるしね。仮に独身者が親元から離れるなら、シェアハウスに他の人たちと暮らしたらどうだろうか。精神的にもエネルギー効率的にもとてもよい。

結婚して子供を持つべきか否かは別の論点。あと、同じことを女性がやったらはるかに「世間」の風当たりは少ないのだろうなというあたり、「男女平等」の建前はどこに行ったんだ、という気はする(笑)。

社会通念から自由になれば、私たちはもっと幸せになれるはず。