「現代フィリピンを知るための61章」感想

文字通り、現代フィリピンを知るための決定版と言えるのではないか。

現代フィリピンを知るための61章【第2版】 (エリア・スタディーズ)

現代フィリピンを知るための61章【第2版】 (エリア・スタディーズ)

フィリピン研究を行う多数の学者・ジャーナリストたちのエッセイ集。名前のとおり、61の文章から成り立っている。フィリピンの歴史・社会・文化・政治・経済・国際関係・生活について多面的な理解を可能にする画期的な一冊。フィリピンに対して真剣な関心をもつ全ての人々におすすめである。

私はいろんなことをこの本から学んだ。

フィリピンの独立の英雄、ホセ・リサールが書いた2冊の小説は、ナショナリズムを高揚するために、高校生の必読書になっていること(フィリピン人に実際に聞いてみたところ、あまりにしつこく勉強させられて嫌になることもあるとか)。

フィリピンの地方政治は腐敗し切っていることで有名だが、選挙がしばしば流血騒ぎになるのは、中央政府から流される資金を巡る争いであるということ。

フィリピン人の出稼ぎ労働者は、主に医療関係者・メイド・ホテル従業員・船員などが多い。私は、フィリピン人女性はエンターテイナーとして来日して、水商売で働いているというイメージだったのだが、どうやらそれは日本に突出した現象らしいこと。

この本を読むことでフィリピンに対する理解が格段に向上するのは間違いない。最近では、フィリピン英会話を通じてフィリピン人と接触する人が増えている。フィリピン人を深く理解することで、学習効果も高まるだろう。

難点を言えば、学者たちが書いた本であるために、やや生臭さが削がれてしまっていること。フィリピンはよくも悪くも極めて人間臭い国だ。もっとドロドロした話が当然あるはずだが、学者が書くときれいに漂白されて論文調の文章になってしまう。地方政治の腐敗についても軽く触れられているだけ。唯一、いかに警察がダメで悪党とグルになってカネ稼ぎに奔走しているか、という章があり、やはり、という気持ちにさせられる。

この本はさまざまな読者を対象にフィリピンに対する鳥瞰的視点を与えるために書かれたのだろう。いわば入門編。入門からいきなり胸焼けするような恐ろしい話は載せられないし載せたくもなかったのだろう。巻末にある文献ガイドがコメント付きで親切である。これらの参考文献を読めば、さらに生々しいフィリピンの現実が見えてくるのかもしれない。

フィリピンの歴史を見て思うのは、その徹底的なアイデンティティの混乱だ。フィリピンにはもともとマレー系の人たちが住んでいた。16世紀、そこにスペイン人がやってきて、カトリックを布教した。フィリピン人は現地人と混血し、さらに中国から人々がやってきて住み着いた。19世紀末、「フィリピン人意識」が高揚して独立を目指すも、20世紀初頭に宗主国が米国に交代して、独立運動がいったん頓挫する。米国は、英語中心の教育制度を作って、フィリピン人に「自由・民主主義」の米国的価値観を植え付けようとする。

フィリピン人にとって、スペイン人たちが侵略者なのか同胞なのかはっきりしない。おそらく両方なのであろう。スペイン人がやってきたとき、フィリピンには、原始的な部族王国が各地を割拠しているにすぎなかった。日本でいえば縄文時代弥生時代の発展段階だったのではないか。そこに突然「文明の民」スペイン人が登場する。スペイン人はいまもなおフィリピン人の精神的支柱となるカトリックをもたらした。

スペイン人を侵略者として排除し切れるほど、フィリピンには「歴史」がなかったのだ。その上にさらに米国が覆いかぶさる。フィリピン人のエリートは、カトリックを信仰し流暢な英語を話す。だが、同時に、大家族制を取り、集団生活と相互扶助を旨とするアジア的な人間関係を濃厚に残している。文化に関しては、雑多な要素の混合という感が強い。

どうやらフィリピン人自身、自分が何者なのか、という民族的アイデンティティの不確かさを常に感じているらしい。多文化の狭間で苦悩するまるで「帰国子女」のような国、フィリピン。英語が流暢に話せるのをうらやましく思う人もいるかもしれないが、一定の犠牲も背後にあるのだ。いろんな意味で、直線的な歴史を持ち、極めて均質的な文化をもつ日本とは対照的である。

だが、見方を変えると、人々が地理的制約を超えて、グローバルに超流動を始める21世紀を先取りしているような国とも言える。フィリピン人労働者は、総労働力人口の1-2割にも達するともいわれ、世界中に分散している。国際結婚も多い。オンライン英会話をはじめ、地理的制約を乗り越えるインターネットから最も恩恵を受けている国でもあろう。いろんな意味で興味深い国である。そんなフィリピンを総合的に理解する手引書として本書は最適であろう。