「やりたい」ではない「やる」のだ

私はかつて受託開発のソフトウェア技術者だった。プロになったのは26歳のときだが、私は13歳のころからプログラムを書いていたので、最新の開発環境について独学するのはさほど苦にならず、瞬く間に平均以上の技能を持つ技術者になった。だが、正直に告白すると、ずっと技術者としての自分が好きではなかった。私にとって、ITをやるのは、ある種、人生からの逃避を意味していた。社会的な関係を結ばずに済むための方便だった。私はプログラムを書くのが嫌いだった。オープンソースプロジェクトに参加する人たちは、カネをもらわなくてもプログラムを書きたい人たちだが、私はまったくそんなタイプではなかった。

皮肉なことに、私のプログラム嫌いは、プログラム技能を向上するのに大いに役に立った。プログラミング言語 Perl の作者のラリー・ウォールによる「プログラマの三大美徳」に「怠慢(Laziness)・短気(Impatience)・傲慢(Hubris)」がある。私は、プログラムを書く作業が苦痛であるがゆえ、その時間を最小化しようとして、あらゆる努力をした。私はまさに怠慢・短気・傲慢なプログラマだったゆえに、技術がどんどん向上してしまった。社会的な関係を求めながらも、どんどん人間と付き合う必要のない技術的な方向に仕事が向かっていってしまった。

2008年頃、私は東京で Ruby on Railsプログラマとしての一定の評判を確立しつつあり、多くの仕事が舞い込んできていた。寝る間もなく、仕事をしなければならない時もあった。だが、私は自分の仕事が苦痛で仕方なかった。私は、プログラムを書くのに忙しすぎて、顧客との打ち合わせ以外はほとんど人間と話すことがなくなっていた。こんな人生は嫌だ。そんな東京での生活をぶち壊したくて、私はベトナムに渡った。

ベトナムに行ったのは、ソフトウェアのオフショア開発の会社を作るためというのが表向きの理由だ。本当のところ、業種はどうでもよくて、会社を作って、「経営」というものをやってみたかった。自分ひとりで黙々と作業するだけの仕事、他人の夢の中の部品となって働く仕事にうんざりしていたからだ。本当は「経営」かどうかさえ、どうでもよかったのかもしれない。自分の殻を打ち破って、自分自身の「ビジョン」を示し、他者を巻き込みながら、何かを達成すること。それが本当にやりたいことだった。

ただ、私は、何らかの子供のころの心の傷により、自分自身の考えを開示してプロジェクトを作り、他者を巻き込みながら何かを達成するということが極端に苦手だった。言語も文化も違う外国であるベトナムで、いきなりそういうことをやろうとするのはハードルが高すぎた。日本に比べるとカオスとしか言えないベトナムの諸制度に翻弄されて、私は結局、会社も作ることができずに日本に戻ってきた。

私の中には、内気な10歳の少年が住んでいる。小中高時代の私にとって、学校は苦痛な牢獄にすぎなかった。そこで行われている様々な学校行事(部活・運動会・文化祭等々)に対して、何の興味も持てず、その教育的な意義についてもまったく理解できなかった。私自身、自分の感情さえ、周囲に上手に開示することができず、最低限の人間関係もうまく結べなかった。言ってみれば、深い井戸の底に住んで、小さく切り取られた青空を見上げて、外の世界に憧憬を抱く囚われの人間だった。

そうやって、井戸の底の牢獄でも私にできることはプログラムを書くことでしかなかった。だから私はプログラムを書くことを憎みつつも逃れることができなかった。

だが、最近、タネマキでいろんな起業家志向のエンジニアの人たちと話をする中で、私はむしろ例外的な人間であることに気が付いた。エンジニアには2種類しかいない。技術自体に興味がある人たちと、技術を使って現実の問題を解決することに興味がある人たちだ。前者は、技術と戯れているだけで喜びを感じる人たち(一般的にはギークとかオタクとかいわれる)。対象が何であれ、楽しんでいるのをとやかくいう必要はない。後者は、問題の解決に主眼を置いている。問題を解決するには、種々の方法がある中で、たまたま技術を手段として選んだだけにすぎない。彼らは社会的関係から逃げているのではなく、むしろ新しい社会的諸関係を開拓しようと挑戦している人たちである。技術に打ち込むのは必ずしも、現実逃避だけを意味するのではないのだ。そんな当たり前のことを最近になって、ようやく思い知るようになった。

私は、実際には経験も知識も豊富で働き盛りの42歳だ。もう内気な10歳の少年ではない。自分が起こす社会への働きかけにもっと自信を持っていいはずだ。最初から完璧にはできないだろう。だが、私は、その過程でおこるさまざまな予測できなかった問題と誠実に取り組むつもりだ。

「やりたい」ではない。「やる」のだ。最初からやり通せるかどうか、だれも100%の確信はもてないのは当たり前だ。だからこそ、何かか問題が発生しても、いろいろ工夫して乗り切るという覚悟が重要なのだ。

ただ、いきなり複雑で難しいことをやろうとしても、挫折してしまうだろう。最初は小さなことから着実に積み重ねていきたい。いずれ大きなことができるようになるだろう。



…というわけで私はあまりきちんとプロモーションしてこなかったのだが、今後は私の運営するコミュニティ「エルムラボ」の宣伝をテコ入れしていきたい。エルムラボは「学習」をテーマにしているのだが、実際には自分で何かをやりたい人(起業・フリーランス・サラリーマンの副業・NPO 活動等)たちが連携し、自分がやりたいことを達成するうえで必要な「学び」を励ましながら達成するといく場にしていきたい。…と難しいことを言わなくても、この酒井のファンクラブと単純に考えていただいても結構。私がブログでいままで表明してきたさまざまな価値観に共感する人たちだけが集まっているので、いきなり濃い話ができるはずだ。

リアル/バーチャルの両面でオープン/クローズドなイベントをやっていくなかで、メンバー間の交流を図りつつ、みんなで何か面白いことをやっていきたい。

今のところエルムラボの紹介のページはこちら。ただ近々きちんとしたサイトを立ち上げるつもりではいる。是非よろしくお願いします!