僕の仕事遍歴 - 1


僕は、1993年春に東大経済学部を卒業した。卒業して、入った会社は東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)。バブル期の最末期でまだ就職はしやすかったころだ。僕は丸の内支店に配属された。都市銀行の通例で、総合職であっても最初の2年ほどは支店で一般職と同じ仕事をする。僕も、丸の内支店でさまざまな事務職を経験した。しかしながら銀行の保守的な雰囲気がどうにもなじめず、冬のボーナスを目前にしてわずか8ヶ月で退職。


失意のうちに茨城県の実家に帰った僕は、翌94年の1月から3月まで隣町の公民館でバイトする。仕事の内容は、市民講座のパンフレットをMac で作る仕事。料理講座のおばさまたちが料理を差し入れてくれたりして、結構楽しかった。


5月から7月までの3ヶ月は、金を貯めようとして、群馬県伊勢崎市の富士重工でバス製造の期間工として働いた。工場近くの借り上げの2DKの安アパートに同じ境遇の期間工たちと4人で住んだ。わいわいやってこれも結構楽しかったものだ。7月の末に梅雨が明けると、群馬は40度近くの猛烈な暑さになった。工場の中はゆうに40度を超えていた。


8月から10月までの3ヶ月は、沖縄にいた。無謀にも移住を図ったのである。コピー機の営業マンという(なんとも不似合いな)仕事を選んで、海の見えるしゃれたマンションの一室に住んだ。しかしこの仕事、たった3週間しか続かなかった。飛び込み営業が当時の僕には精神的に耐えられなかったのだ。貯金もすぐ底を尽き、ふたたび茨城の実家に舞い戻るしかなかった。


それから94年が暮れるまで、僕は何もしないで茨城県の実家にいた。しかし最後は家族にもお荷物扱いされ始めたので、これではダメになると家を出ることを決意。翌95年1月から3月まで、埼玉でガードマンのバイトをして敷金礼金を貯め、東京世田谷で再びアパート暮らしを始めたのが4月であった。(続く)