今後の仕事の方向性

いままで私は Ruby on Rails でウェブ関係の仕事をしてきました。

これからは方向性をやや変えて、機械学習・データ分析・データフォーマット変換の仕事をしていきたいと考えています。

ビックデータや機械学習が大きな意味を持ってきている、この時代。
データはかならずあるフォーマットに従って表現されています。
さまざまな種類のデータが異なるフォーマットで表現されている場合が多いです。
この場合、データ間の変換作業が必要になります。

私は、このデータフォーマットの変換が得意にしています。

今後は、こちらの方面の仕事をしていければ、と考えています。
お気軽にお問い合わせください。

【追記】
いま、いろいろとすでに仕事をいただいておりまして、ご依頼のお仕事をお引き受けするのにしばらくお時間をいただく可能性もあります。随時、現状はこのブログ上でご報告いたします。

久しぶりの日記

この2年間は、自分の中の軸がうまく定まらなくて、ほとんどインターネットに向かって発信することができなくなっていた。いまも完全に復活しているわけではないのだが…。

このブログを書き始めて、もう10年ほどが経過する。10年前といまではインターネットも様変わりした。やはり、変化の主動力はスマートフォンであっただろう。それがきっかけで、コンピュータに関する知識がほとんどない人たちが日常的にSNSを通じて発信するようになった。

梅田望夫さんがウェブ進化論を書いていたころ、インターネットはまだITリテラシーの高い人たちのものだった。だから、インターネットで情報発信してもどのような人達に届くのかある程度予測することができて、安心だった、というところはあるかもしれない。

しかし、いまやインターネットはリアルそのものになった。日本語で書けば、理論上は日本人のあらゆるクラスターに情報が届きうる。語弊があるかもしれないが、「インターネットを頻繁に利用している」という事実が、なんらかのスクリーニングのフィルターになる時代はとうの昔に終わってしまった。

私自身、こういう時代にどういうスタンスでネットと付き合っていくべきか、まだ考えあぐねている。私の好みからすれば、本当は、すべてをさらけ出して、本音で勝負したい。だが、本音で勝負すれば、いろいろ傷つくし、誰かに迷惑をかける可能性もある。

本気でネットと取り組むには、エネルギーが必要だ。だが、いまはまだそのエネルギーがない。だいぶ、回復してきたとはいえ…。

と、いろいろと考えている気持ちを今日は素直に吐露できて、すこしほっとした。自分なりにゆっくり考えていけばいいのかもしれない。

この1年を振り返って

私は、ちょうど1年前の2015年3月31日、行政書士をやめた。

その後、私はプログラマーに復帰した。Ruby on Rails を使って、いくつかのウェブサイトを作るお手伝いをした。

プログラマーに復帰したおかげで、経済的にはずっと安定するようになった。私は、たぶんいままでいちばん落ち着いて真面目に仕事に取り組んでいる。ありがたいことによいプロジェクトとチームメンバーに恵まれ、楽しく仕事をしている。

かつてはコンピュータの仕事に不平不満ばかりだったのが嘘のようである。もちろん、ITの仕事にはいろいろ厳しい面があるが、この歳になって、チームで働く楽しさや仕事というものが持つ意味がわかってきた。

この1年間で私が変わった点がある。

それは、物事の自然のなりゆきを信じ、その流れに身を委ねるようになった、という点だ。かつては、何事も自分の思い通りにならないと気が済まなかった。だが、物事はそれ自体の秩序をもっている。それを信じて、我を張らないようにした。おかげで生きることがだいぶ楽になった。

他にもいろいろ話したいことはあるが、日記を書くのはひさしぶりなので、今日はこのあたりにしておく。

自意識というこの化物

このエントリーの言うとおりだと思った。

【自己責任系はてな村怪談】あるブロガーの末路 - さよならドルバッキー

振り返ると、私は、この2年間で1回しかブログエントリを書けていない。正確に言えば、なんどもここに書こうと思ったのだけど、どうしても書けなかった。

私にとって、はてなダイアリーは「第ニの青春」とでもいえるような、甘くてほろ苦い思い出だった。いつの間にか、思い入れが強くなりすぎて、一字も書き込めないようになっていた。

私は、いろんな夢を見た。多くの夢は果たされることなく、露と消えていったけれども、そんなことはありふれた話だ。フィクションの世界では、ヒーローやヒロインは必ず自分の目標を遂げていくけれども、現実はそうではない。それこそが、人々がフィクションに惹かれる理由であるのだから。

かつて、この場所で私はいろいろ恥ずかしいことも言った。有り体にいえば「黒歴史」というわけだが、別にそれを隠すつもりはない。いちどインターネットで上げてしまったものは、二度と撤回は出来ない。できることといえば、不完全に上書きしていくことだけだ。

いまの私は、10年前の私とも、5年前の私とも違う。でも、そんなことも当たり前の話だ。世界も人々も絶えず変化していく。そして、いつか誰もが死ぬ。そんな当たり前の話。

たぶん、一つだけ確実なのは、私は10年前より、ずっと人間らしくなった。人間としての弱さを認め、受け入れられるようになった。たぶん、周囲の人たちも私とずっと付き合いやすくなったはずだ。それと引き換えに、途方もない夢のほとんどは失われてしまった。「中二病」的なこだわりはどこかに消えていき、平凡さだけが残った。

でも、それでよかったのだ。いまはそんな自分にちょっとほっとしている。思春期から引きずってきた、この自意識という化物と少しだけ折り合いをつけることができるようになったのかもしれない。

明けましておめでとうございます

早いもので、このブログを始めて10年近い年月が流れました。
いろんなことがありました。

いまの自分に100%満足しているか、と言われば、正直言って、そうではないと答える自分がいます。
それでも、私は、今の自分が幸福であると思うことにしました。

幸福とは、「コレコレの具体的条件が満たされれば自動的に感じる」客観的なものではなく、純粋に主観的なものであるからです。

たぶん、客観的な条件を気にしていたら、一生、幸せにはなれないのでしょう。
ですから、私は、決めたのです。いついかなるときも、自分は幸せであると。

不思議なもので、自分が幸せだと信じれば、幸せである理由を探し始めます。そして、不思議なことに大抵いくつでも理由は見つかるのです。

ここでいう「幸福」は、「自己受容」に近いものでしょうね。自分の現状を「幸福」だと決めることは、いつでも誰にもできますが、残念ながら、甘い幸福感が伴うとは限りません。ただ、「ああ、これで自分はよいのだな」という不思議な安堵感はあります。

そして、幸福=自己受容は、人生の終着点ではなく、出発点ではないでしょうか。
幸せだからこそ、人は行動を起こし、何かを達成しうるのではないでしょうか?

与えられた環境で最善を尽くす

私はいままで日本社会をさんざん批判してきた。確かに日本社会に問題点は数多く存在する。

だが、私はいま深く反省している。私がやってきたことは、結局、批判のための批判に終始していたのではないか、と。私は、この現実から逃げていたのではないか、と。

外国に行くことはよいと思う。特に若い日本人にはお勧めしたい。日本社会は、事実上の単一文化社会だから、異文化に触れることで、視野が広がり、人生が豊かになる。

だが私の場合は、結局のところ、単なる逃避にすぎなかったのかもしれない。この15年間いろんな外国に住んでみて、最終的にこう言わなければならないのは辛いけれども、認めなければ先に進めない。

外国に旅行に行くのは簡単だ。だがそこで仕事をしようとすれば、日本にいる時以上に面倒なことが多い。日本できちんとやれない人間が外国でうまくやるのは相当難しい。

私が将来、再び外国に出ていくにしても、いまは日本でなすべき仕事がある。

◇◇◇

私が日本社会とうまく折り合いをつけられなかったのは、小学校のときからだ。私は、自分の住んでいたエリア、通っていた学校、何もかもが好きになれなかった。物心がついたときにはそんな状態だったから、当時の私にはどうしようもなかった。それが最初のボタンの掛け違い。その後は、混乱にみちた人生を送ってきた。

他の人たちの助けもあって、なんとか私はいままで生き延びてきた。これだけいろんな勘違いをしながらいままで生きてこられたのは、ある意味、奇跡的なことかもしれない。

私は、いままでの人生で起きたひとつひとつの出来事を検証して、もし「自分の言い分ではなく、相手の言い分のほうが正しかったら?」と自問している。私は、もっと別の振る舞いができたのかもしれない。

私はたしかに日本でいろいろひどい体験をしている。だが、それは相手にとってもお互い様じゃないのか?私がそもそも相手を信用せずあるいは相手の信頼を裏切って何かをしたことが問題ではないのか?もし環境が悪かったとしても、相手と協力する中で、自分の立場を少しずつ理解してもらい、状況を改善することはできたのではないだろうか?

◇◇◇

環境を変えることが悪いと言っているのではない。時にそれが必要なこともあるだろう。ただ、こうも思う。環境を変えた(変わった)とき、急成長できるのは、もともとの環境でも最善を尽くしてきた人たちではないのか?

私は、日本で最善を尽くしてきたのか、と言われればそれは相当怪しい。私は、結局、わがままな自分の都合だけを他人に押し付けていただけのような気がする。

誰しも自分の都合を通したいのは同じだ。ただ、それを実現するためには、相手の言い分も聞き、相手の要望も叶えてあげなければならないだろう。そうすることではじめて自分の言葉にも説得力が出てくる。

◇◇◇

私は去年、行政書士試験に合格して、今年3月には登録を行った。行政書士になった動機は、ソフトウェア技術者を辞めたかったからだった。だが、行政書士になってみて、この世界はこの世界で別の厳しさがあることを知った。隣の芝は青く見える、ということなのだ。行政書士をやるにしても、あることから逃げたいから別のことを始める、というのではダメだ、と思った。

私は、社会人になってから、ほぼすべての期間、IT 関係の仕事でメシを食べてきた。これは私の屋台骨なのだと思う。行政書士としての仕事も、このITに関する経験を基礎にしたものでなければうまくいかないだろう、と思う。私は、この5年間、さんざんITから逃げたいと言ってきたが、もうそれはやめる。ITを仕事の基礎にしていく。

ITを仕事の基礎にするとはいっても、プログラミングそのものにこだわらなくてもよいとは思う。これは、趣味ではなく仕事なのだ。仕事とは、他者の喜びを増やし、苦痛を減らすための活動である。IT を使って他者の問題を解決できればそれでよいのである。逆に言えば、いくら技術力があっても、他者の問題を解決していなければ、それは単なる自己満足にすぎない。

日本のIT業界や日本人の働き方にはいろいろ問題がある。だから私はいままで逃げてきた。だが私は物理的に地球の裏側まで実際に逃げてみて、逃げ切れるものではないのだということを痛感した。まずは、現状を受け入れて、一緒に泥をかぶりながら働いて、多くの人たちの協力を得ながら、内側から少しずつ改善の道を探るしかないのではないだろうか。

日本人の働き方が、ワークライフバランスを欠いていて、それがうつ病や過労死の問題を引き起こし、女性の社会参加を妨げる等、さまざまな実害を生んでいることは、広く認識されるようになりつつある。きっと問題解決のために協力してくれる人たちはいるはずだ。他者を信じるのは怖いけれども、信じなければ何も始まらないのも確かではないのか。

◇◇◇

以上のように言うのは、まるで自分の過去5年間の活動を否定するようにつらかった。私はいろいろ間違えてきたと思う。その過ちは、過去5年にとどまらず、人生の最初期から続いてきた。バカなやつだと思われるかもしれない。私は、本当のところひどく傷付きやすいので、そう思われるのはつらい。だが、私は、そんな自分を受け入れようと思う。不完全でアホな自分自身を。

完全を装って何もしないより、不完全でも行動したほうがいい。そうおもえば、そういうバカなことをし続けてきたからこそ、こういう気づきが得られたのかもしれず、無駄ではなかったのかもしれない。

結局、人間にできることは、与えられた環境で最善を尽すことだけなのだろう。焦る必要はない、と思う。寄り道ばかりの人生もまた一つの生き方だろう。ぼちぼち、前に進んでいくつもりだ。