与えられた環境で最善を尽くす

私はいままで日本社会をさんざん批判してきた。確かに日本社会に問題点は数多く存在する。

だが、私はいま深く反省している。私がやってきたことは、結局、批判のための批判に終始していたのではないか、と。私は、この現実から逃げていたのではないか、と。

外国に行くことはよいと思う。特に若い日本人にはお勧めしたい。日本社会は、事実上の単一文化社会だから、異文化に触れることで、視野が広がり、人生が豊かになる。

だが私の場合は、結局のところ、単なる逃避にすぎなかったのかもしれない。この15年間いろんな外国に住んでみて、最終的にこう言わなければならないのは辛いけれども、認めなければ先に進めない。

外国に旅行に行くのは簡単だ。だがそこで仕事をしようとすれば、日本にいる時以上に面倒なことが多い。日本できちんとやれない人間が外国でうまくやるのは相当難しい。

私が将来、再び外国に出ていくにしても、いまは日本でなすべき仕事がある。

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私が日本社会とうまく折り合いをつけられなかったのは、小学校のときからだ。私は、自分の住んでいたエリア、通っていた学校、何もかもが好きになれなかった。物心がついたときにはそんな状態だったから、当時の私にはどうしようもなかった。それが最初のボタンの掛け違い。その後は、混乱にみちた人生を送ってきた。

他の人たちの助けもあって、なんとか私はいままで生き延びてきた。これだけいろんな勘違いをしながらいままで生きてこられたのは、ある意味、奇跡的なことかもしれない。

私は、いままでの人生で起きたひとつひとつの出来事を検証して、もし「自分の言い分ではなく、相手の言い分のほうが正しかったら?」と自問している。私は、もっと別の振る舞いができたのかもしれない。

私はたしかに日本でいろいろひどい体験をしている。だが、それは相手にとってもお互い様じゃないのか?私がそもそも相手を信用せずあるいは相手の信頼を裏切って何かをしたことが問題ではないのか?もし環境が悪かったとしても、相手と協力する中で、自分の立場を少しずつ理解してもらい、状況を改善することはできたのではないだろうか?

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環境を変えることが悪いと言っているのではない。時にそれが必要なこともあるだろう。ただ、こうも思う。環境を変えた(変わった)とき、急成長できるのは、もともとの環境でも最善を尽くしてきた人たちではないのか?

私は、日本で最善を尽くしてきたのか、と言われればそれは相当怪しい。私は、結局、わがままな自分の都合だけを他人に押し付けていただけのような気がする。

誰しも自分の都合を通したいのは同じだ。ただ、それを実現するためには、相手の言い分も聞き、相手の要望も叶えてあげなければならないだろう。そうすることではじめて自分の言葉にも説得力が出てくる。

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私は去年、行政書士試験に合格して、今年3月には登録を行った。行政書士になった動機は、ソフトウェア技術者を辞めたかったからだった。だが、行政書士になってみて、この世界はこの世界で別の厳しさがあることを知った。隣の芝は青く見える、ということなのだ。行政書士をやるにしても、あることから逃げたいから別のことを始める、というのではダメだ、と思った。

私は、社会人になってから、ほぼすべての期間、IT 関係の仕事でメシを食べてきた。これは私の屋台骨なのだと思う。行政書士としての仕事も、このITに関する経験を基礎にしたものでなければうまくいかないだろう、と思う。私は、この5年間、さんざんITから逃げたいと言ってきたが、もうそれはやめる。ITを仕事の基礎にしていく。

ITを仕事の基礎にするとはいっても、プログラミングそのものにこだわらなくてもよいとは思う。これは、趣味ではなく仕事なのだ。仕事とは、他者の喜びを増やし、苦痛を減らすための活動である。IT を使って他者の問題を解決できればそれでよいのである。逆に言えば、いくら技術力があっても、他者の問題を解決していなければ、それは単なる自己満足にすぎない。

日本のIT業界や日本人の働き方にはいろいろ問題がある。だから私はいままで逃げてきた。だが私は物理的に地球の裏側まで実際に逃げてみて、逃げ切れるものではないのだということを痛感した。まずは、現状を受け入れて、一緒に泥をかぶりながら働いて、多くの人たちの協力を得ながら、内側から少しずつ改善の道を探るしかないのではないだろうか。

日本人の働き方が、ワークライフバランスを欠いていて、それがうつ病や過労死の問題を引き起こし、女性の社会参加を妨げる等、さまざまな実害を生んでいることは、広く認識されるようになりつつある。きっと問題解決のために協力してくれる人たちはいるはずだ。他者を信じるのは怖いけれども、信じなければ何も始まらないのも確かではないのか。

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以上のように言うのは、まるで自分の過去5年間の活動を否定するようにつらかった。私はいろいろ間違えてきたと思う。その過ちは、過去5年にとどまらず、人生の最初期から続いてきた。バカなやつだと思われるかもしれない。私は、本当のところひどく傷付きやすいので、そう思われるのはつらい。だが、私は、そんな自分を受け入れようと思う。不完全でアホな自分自身を。

完全を装って何もしないより、不完全でも行動したほうがいい。そうおもえば、そういうバカなことをし続けてきたからこそ、こういう気づきが得られたのかもしれず、無駄ではなかったのかもしれない。

結局、人間にできることは、与えられた環境で最善を尽すことだけなのだろう。焦る必要はない、と思う。寄り道ばかりの人生もまた一つの生き方だろう。ぼちぼち、前に進んでいくつもりだ。