自意識というこの化物
このエントリーの言うとおりだと思った。
【自己責任系はてな村怪談】あるブロガーの末路 - さよならドルバッキー
振り返ると、私は、この2年間で1回しかブログエントリを書けていない。正確に言えば、なんどもここに書こうと思ったのだけど、どうしても書けなかった。
私にとって、はてなダイアリーは「第ニの青春」とでもいえるような、甘くてほろ苦い思い出だった。いつの間にか、思い入れが強くなりすぎて、一字も書き込めないようになっていた。
私は、いろんな夢を見た。多くの夢は果たされることなく、露と消えていったけれども、そんなことはありふれた話だ。フィクションの世界では、ヒーローやヒロインは必ず自分の目標を遂げていくけれども、現実はそうではない。それこそが、人々がフィクションに惹かれる理由であるのだから。
かつて、この場所で私はいろいろ恥ずかしいことも言った。有り体にいえば「黒歴史」というわけだが、別にそれを隠すつもりはない。いちどインターネットで上げてしまったものは、二度と撤回は出来ない。できることといえば、不完全に上書きしていくことだけだ。
いまの私は、10年前の私とも、5年前の私とも違う。でも、そんなことも当たり前の話だ。世界も人々も絶えず変化していく。そして、いつか誰もが死ぬ。そんな当たり前の話。
たぶん、一つだけ確実なのは、私は10年前より、ずっと人間らしくなった。人間としての弱さを認め、受け入れられるようになった。たぶん、周囲の人たちも私とずっと付き合いやすくなったはずだ。それと引き換えに、途方もない夢のほとんどは失われてしまった。「中二病」的なこだわりはどこかに消えていき、平凡さだけが残った。
でも、それでよかったのだ。いまはそんな自分にちょっとほっとしている。思春期から引きずってきた、この自意識という化物と少しだけ折り合いをつけることができるようになったのかもしれない。