なぜ日本文化を次世代に残さなければならないのか
一つの思考実験をしてみる。アメリカ政府と契約を結んでアメリカから50万人くらい小中学校の教師を連れてくる。そして小学校から中学校まですべての教育を英語で行う。
対象は日本人生徒全員。日本語の授業は一切なし。学校の中では昔の「方言札」のようなものを用意して、日本語を話した子供を罰する。
公共の場からすべての日本語を追放し、すべて英語で統一してしまう・・・シンガポールのように。それを全国規模で行う。
さて、そのとき、日本文化は変容を受けるのだろうか?それはいい変化か悪い変化か?それとも日本文化には変わることのないコアがあって変化しないのだろうか?そのコアとは何か?それを維持することは日本人にとって、そして世界の人々にとってどういう意味があるのか?
日本人は、四面の海という地理的条件に恵まれて、民族存亡の危機に直面することなくやってきた。恵まれた歴史だ。それゆえ「日本人とは何か。そして守るべきものは何で、変容してもいいものはなにか」と厳しく自問したことがない。
これが移民政策を巡るゴタゴタの原因だ。つまり、外国と付き合うとき、日本人が守るべきものが何かコンセンサスがないから、しばしば外国人の全面的排除につながってしまう。しかし、これはあまりに愚かしい決断だ。
フラット化した世界の中で、21世紀の日本人は日本人とは何か自問しなければならない。そして、その最良の部分を以って、どのように人類社会に対して貢献できるのか考えるべきだ。それが、日本経済を救う道にもつながるはずだ。
(私のツィートから再構成しました)