ギークたちの耐えがたい部分最適性

東京でフリーランスのウェブプログラマをしていたころ、技術勉強会によく参加した。こういう勉強会に参加する人たちは、意欲も技術力も高い人たちが多かった。技術者としては、幸せな時間を過ごすことができた。

だが、疑問もあった。参加者たちの多くは、職業プログラマであったのだが、カネの話をしない。技術が最終的にどのようにビジネスに役立ち、利益を増進し、社会に寄与するのか、ということに興味をもっている人はほとんどいなかった。彼らの多くは、ただ純粋に新しく登場した技術をオモチャのように慈しんでいた。

シンガポールで Barcamp に参加したときの風景はかなり違っていた。技術的なセッションもあったが、マイクロファイナンスなど IT をいかに社会の進歩に結びつけるかについての真剣なセッションも多かった。

日本の優秀な技術者たちにとって、IT はある種のオタク的消費対象であり、その社会的応用については、自分たちが考える範囲ではないとする風潮があるのかもしれない。

そのことが日本で先進的なサービスを提供する IT 企業の少なさにつながっているのではないか。優秀な技術者たちが、携帯ソーシャルゲームのような、ビジネス倫理的に疑問符がつく業界に集中するのも「オレたちは技術さえやれればOK」的な発想が強いからかもしれない。

ギーク(高度な技術者たちへの敬称)がいくら高度な技術を極めようと、新商品の開発や業務プロセスの改善を通じて、具体的にいくら利益を増加させることができるか、ということを経営者に説明できないかぎり、ギークは自分たちの報酬を増やすことはできない。利益を度外視した技術水準の向上は、単に部分最適にすぎない。ときには大いなる勘違いとして何の意味ももたないことがある。

日本のギークたちには、社会的・経営的なことに、もっと興味を持ってほしい。やがて技術者の社会的地位の向上にもつながるはずだ。