「できない」と「できる」

「そろそろブログを書こう」と思い続けて、3ヶ月経ってしまった。

私は、いま「中年の危機」とも言えるアイデンティティ・クライシスにある。もう少し、気持ちが整理されたら書こうと思いつつけてきたが、たぶんこの分だと永遠に気持ちは整理されまいと思い、日記を書くことにする。

私は、いま東京のとある粋なソフトウェア企業と契約して、あるソフトウェア開発のプロジェクトに従事している。こうやって働いている身分で、自分の人生の迷いを吐露すれば、顧客に不安を与えるに違いない。普通にまともなビジネスマンだったらやらないことだろう。

だが、いずれにしろ、迷いを抱えているのは否定しがたいし、それを表に表さず仕事をするのも、誠実な態度とは言えないのかもしれない。いろいろしがらみやらなんやらあることはあるが、一つ一つを計算に入れて戦略的に行動するなんていう器用なことが私はできないので、まあ、こういうのも悪くないのかもしれない。

まずは、私が抱える職業上の悩みから吐露しよう。私は、短期間の例外を除いて、大学卒業以来、ITの仕事に従事してきた。そのほとんどの期間、私は上司または顧客から要求仕様を聞き取り、それを満たすソフトウェアを作る、という仕事をしてきた。私は、さまざまな理由で一つの組織にコミットすることができなかった。その結果、私はいつまでも現場の最前線、つまりPCに向かって直接コードを書くプログラマの立場にとどまった。

はてなユーザーならよくご存じの通り、日本ではプログラマの地位は著しく低い。社会的な意義は高いはずなのに、地位がそれに追いつかないのはどういうわけだ…と私は憤った。もっとも、この点に関しては、この数年のウェブ企業の台頭によって、日本でも風向きが相当変わりつつあるようには思う。LINEが上場して1兆円の資金調達が噂されるような時代だからね。

ただ、最近、顧客とプログラマに中間に立つ人たち〜SIer は彼らを SE とよび、ウェブ系企業はディレクターと呼ぶ〜は、実は多くの場合やはりプログラマ以上に重要なんじゃないかと思うようになった。プログラマはもちろん優秀でなくてはいけない。だがそれ以上に、彼らに何をいつまでにどのように作るべきか的確に伝えられなければ、顧客が望むものが作れるはずがない。

以前から私の文章をお読みの方々はよくご存じの通り、私は数年前、日本企業の仕事の仕方を厳しく糾弾した。その多くは私がプログラマとして大企業のオフィスで見聞した経験に基づいている。だがいまはこう思うのだ。末端のプログラマとして、誰かの指示に基づいて作業をする身では、プロジェクト管理をする人たちの失敗の影響をモロに受けるしかないではないか。プロジェクト管理に問題があると考えるなら、なぜ自分がSEなりディレクターなりプロジェクトマネジャなりになって、問題を解決しようとはしなかったのか?私は単に現実から逃げていただけではないのか?と。

もう一人の私がこう自分を弁護する。「そんなこと言ったって無理に決まっているじゃないか。これは構造的な問題なんだ。誰がやったとしても、そういう場に放り込まれたら同じことをやるに決まっている。私がプロジェクト管理をやったって何も変わらないさ」と。

確かにそうなのかもしれない。構造的問題だと指摘するのは、何かをしないためには、ほぼ完璧ないい訳である。「私が異性にもてないのは構造的な問題だからどうしようもない」。確かにそうなのかもしれない。

でも、本当にそうなのだろうか?本当に問題解決への道は一本も残さずに閉ざされていたのだろうか?「何かがひとつでもあること」は簡単に証明できる。しかし「何かが絶対存在しない」ということは、多くの場合、証明不可能だ。

実務上優秀な人たちの共通点は「できない」とは言わないことだという。彼らはかならず「できる」という。以前の私は、そういう話を眉唾で聞いていた。「できないことはできないだろうよ」と。よくよく観察してみれば、彼らはべつに超自然的な力を信じて、根性で頑張ればなんでもできると信じているわけではなさそうだ。彼らは正確には「できるようにする」のだ。物事が自然に成就するように、頭をギュウギュウに絞って、成功確率を高めるべく環境を整備するのだ。

「できない」ということのメリットは、それが間違っていることはほとんどない点だ。この予言は自己実現的に成就する。「できない」といえば、ほぼ間違いなくそれは「できないようになる」。それに、「できない」といえば、何もする必要がないから、誠に便利ではある。

ただ「できない」ということのデメリットは、それが人生を少しも豊かにしてくれないという点だ。できないといえば、実際にできないようになり、何も起こらない。何も生じず、何も得ず、退屈な人生だけが残る。

…いろいろグタグタ言ってきたが、ポイントはこういうことだ。慎重に何事に対しても「できない」と言い続けてきた私は、たぶん間違っていた。43歳にもなってそんなことを言わなければならないのはつらい。ただ、60歳や70歳になっていうよりはいくらかはマシだろう。

これからは、困難な状況にぶちあたっても、すぐ「できない」とは言わないことにしよう。日本も世界もいろいろ状況は絶望的だが、改善の余地は全くないとは言わないことにしよう。その状況に対して自分が全く何もできないとは思わないことにしよう。

どんな難しい問題も解決「できる」のだ。解決までの道筋なら、必ずいくつか思いつくことができるからだ。すぐはできなくても、いずれ「できるようにする」ことはできるからだ。

…とまたまた脱線して自分の本筋の悩みを吐露するには至らなかったが今日はこの程度にしておこう。続きはまた今度。