会計学の難しさ

いま USCPA(米国公認会計士)試験に向けて勉強をしている。科目は4つ。財務諸表論(FAR)、監査論(AUD)、税法・ビジネス法(REG)、そしてビジネス論(BEC)である。この中でおそらく一番分量が多いのが本丸、財務諸表論である。

この勉強がなんともつらい。何か釈然としないのである。本質的に何かが難しいのではなく、枝葉末節にいつも足をすくわれている気がする。会計規準が、歴史的に進化したものであり、多くの例外的な処理を含むのはいい。だが、それ以上に、会計現象の表記法自体がどうも垢抜けない気がしてならない。歴史的な部分をいろいろ背負っているのは分かるのだが、せっかくすべての会計現象が数字で測定されているにもかかわらず、その特性をうまく生かしきれていない気がする。数学の表記法に学んで、もう少し、形式的な定義を行えば、表記も説明も冗長さが減るように思われる。

そもそも帳簿とかいうけどさ、いまどき会計はソフトウェアでやるでしょ?もう帳簿なんていう物理的実体はないわけで。「理論会計学」とか「形式会計学」とかそういう分野が、どこぞの頭のいい数学者によってすでに切り開かれていてもおかしくない気がするんだが。数学が得意とはとてもいいがたいのだが、ないなら自分で作るしかないか・・・。

(追記)

Livedoor blog だと、テクニカルな事柄が書きづらい。つい、慣れたはてなサブアカウントを作ってしまった・・・。とほほ。
USCPA 勉強日記 at Hatena

嫌なら逃げてもいいんじゃないかな

「前向きな気持ちで始めるならいいけど、何かが嫌で、それから逃げるためならよくない」
「海外生活に挑戦するのもいいけど、日本が嫌だから、という理由じゃきっとうまくいかない」
「この会社を辞めるのもいいけど、この会社が嫌いだから、という理由ではダメ。本当にやりたいことを見つけてから辞めなさい」

というようなことを言う人たちがいる。とりあえず正論な気がするし、小学校の道徳の授業でこう言っておけば、先生にはいい顔できるかもしれない。

でも、なんだかしっくりこない。

嫌なら逃げてもいいんじゃないかな。だって嫌なんだし。嫌なことをしていられるほど、人生は長くないんじゃないかな。

私は、10回以上転職しているけど、かなり後ろ向きの転職も多かった。いろんな理由で会社が嫌になってしまう。たとえば社内の人間関係が最悪であるとか。1ヶ月くらいは耐えてみるけど、もうこの先どうにもならないだろうな、と思うと、さっさと辞めてしまう。もう、どんどん辞めてしまう。

その結果どうなったか。時にカネに苦労することはあったけれども、基本的にストレスがなかったから、とても楽しい人生だった。いまもたいしてカネはないけど、毎日が楽しい。大学時代の仲間の中でもダントツに幸せなんじゃないかと思う。久しぶりに、顔をあわせると、自分が一番若く感じる。みんな気苦労が多そうである。

日本社会は「風紀委員」みたいな人たちが多すぎるのかもしれない。自殺率の高さは、発散しようのないストレスの強さを暗示している。

もちろん、我慢しなければならないことだってある。私もいまは退屈な USCPA の勉強に耐えている。その先に未来があると思うからだ。しかし、耐えられないほどつらいことがあるというのは、何かが根本的に間違っている可能性が高い。そういうときは、とりあえずやめてしまったほうがいいかもしれない。いまいる場所から逃げ出したほうがいいかもしれない。

いぜんオーストラリアを旅行したことがある。砂漠に道がどこまでもまっすぐ続いている。他の車など一台も走っていない。大きな真っ青な空。レンタカーを借れば、一日1000キロでも余裕で走れる。

本当に人生が嫌になってしまったとき。すべてを投げ捨てて、オーストラリアにでもふらりと旅行に出かけてみたらどうだろうか。義務だとか世間の目だとかは関係ない。まずは自分の身を守ることだ。それが、結局はすべての人たちの幸せにつながるのだから。