新聞って本当に必要?

紙の新聞を読まなくなって何年が経つだろう。

私はもともと新聞は大好きだった。小学生の高学年になるとすでに、親が取っていた朝日新聞日経新聞を隅から隅まで読んでいた。そんな私が紙の新聞を最後に購読していたのは、1997年ころじゃないかと思う。もう10年も前だ。

紙の新聞を読まなくなったのは、ネットでも記事が読めるようになったからだ。私のお気に入りは asahi.com だった。朝日新聞は、ネットへの対応はかなり早く、1997 年くらいにはすでにネットに記事を出していた。Google 以前の 20 世紀のネット界では、asahi.com は定期的に更新がなされる重要な情報源で、私はむさぼるように記事を読みふけったものだ。

2002年ころから、ブログがはやり始める。2005年のころの私は、「情報収集はブログと2ちゃんねるからだけで十分だ」と冗談を言っていた。

しかし。最近それが冗談に思えなくなってきた。最近、asahi.com をはじめとするマスコミのニュースサイトをますます見なくなっている。見てもヘッドラインだけを確認して、詳細は Google 検索で調べる、というのが普通になりつつある。

紙でもネットでも、新聞を読んでて不思議に思うのは、犯罪報道だ。私は、そんなもの見たくない。世の中に変態や詐欺師や狂人がたくさんいるのは、言われなくてもわかっている。奇妙な犯罪を見て、面白いと言う感覚が私にはわからない。いったい何の大義名分があって、犯罪を報道するのか。もし、それが読者が犯罪に対してもっと警戒心をもち、その結果安全になるという効果を狙っているなら、具体的な犯罪をひとつひとつ報道するのではなく、地域別の犯罪発生率とか、犯罪の被害者にならないための心構えとかを新聞に載せればいいではないか?

ネットのいいところは、見たくないものは見なくてもよいということだ。

情報ソースに簡単にネット上からアクセスできるようになりつつある世界では、旧態依然とした新聞社はいらなくなりつつある、ような気がする。インターネットを使えば、関心のある分野だけの情報を収集するため、ソーシャルブックマークRSS リーダーを使用できる。あとは分野ごとにいるアルファブロガーたちの話を聞けば十分な気がする。ブログスフィアが情報ソースの収集・分析・編集を分権的に行いつつあるのかもしれない。それは、伝統的には新聞社の仕事だったわけだが。

2ちゃんねるでの議論がおもしろい。
このネット時代に新聞は本当に必要か