マルクスに恋してる

どうも、最近マルクスのことが心から離れない。恋に落ちてしまったのだろうか?(笑)実像はともかく、池田信夫先生的なマルクスはとても魅力的に見える。

池田先生がいまはなき hotwired に寄稿した「ドット・コミュニズム」シリーズ。最終回「情報は自由を求めている」があまりに感動的なので、ここに写経。

これは情報の性格がデジタル化によって変わったのではなく、その本質が顕在化しただけである。マルクスはすでに商品の価値が実体的
な根拠をもたない「亡霊のような対象性」にすぎないことを指摘し、ソシュールは言語の意味が恣意的であることを指摘していた。このような無根拠性は、アナログ情報では物理的な制約によっておおい隠されてきたが、デジタル信号は物理的な実体から完全に「脱領土化」し、ネットワークに乗って世界中を飛び回る。情報の生み出す差異を利潤として「再領土化」する所有権によって資本主義は成長してきたが、インターネットは最終的に再領土化できない情報を大量に生み出し、近代の政治経済システムを根底から揺さぶっている。


われわれがここからどこへ行くのか、それはだれにもわからないが、一つ確実なのは、この流れは後戻りしないということだ。電波とコンテンツを国家権力によって垂直統合しようとするデジタル放送が破綻することは時間の問題だし、著作権法の有効期限を75年から95年に延ばそうとする米国の著作権法改正は全米の経済学者の反対を受けている。個人情報を私物化しようとする自己情報コントロール権は、欧州では空文化している。このような試みが失敗するのは、スチュワート・ブランドの有名な言葉のように、「情報は自由を求めている」からである。


神聖な自己=プライバシーを国家が侵害するとか、私の情報は私のものだといった議論は、デリダの批判した「現前の形而上学」の戯画である。私という固有の本質が情報に現前するのではなく、逆に私の存在が情報の集積でしかないのだ。インターネット革命は、こうした固有性=所有権(property)の神話を解体し、あらゆる情報を亡霊に変えようとしている。本当の革命が始まるのは、これからである。自由を求める情報を特定の媒体にしばりつけ、特定の個人が所有しようとする動きに対して、インターネットの自由を徹底的に守る延長上にしか、21世紀の社会の展望は見えてこないだろう。

情報の生産と流通が日増しに社会的・経済的に重要になっていく世界で、実際に著作権に関する運用はあまりにもアドホックで危なっかしい。まるで、バグだらけのレガシーシステムに、その場しのぎのパッチを当て続けて、うまく動くことを神に祈ることしかできないエンジニアみたいに。著作権法がどうにも破綻しているのが明らかで、いままでずっとそれをどう克服すべきなのか思いつかなかった。

物事が複雑に見えて仕方ないときは、おそらく思考の枠組み自体が間違っている。天動説が信じられているころ、惑星の振る舞いの複雑さに天文学者は頭を悩ませていた。その動きを説明するために複雑で醜いモデルを作らなければならなかった。それは「地球が宇宙の中心である」という思考の枠組みが間違っていたからだ。

インターネットは、情報を限界コストゼロで複製し流通させることができる社会的インフラストラクチャーである。そして、情報は自由を求めている。したがって、究極的には情報は自由(free)になるだろう。情報は、束縛があるかぎりこれを嫌い完全な自由を手に入れるまで抵抗運動をやめないからである。この自由は無償(free)でもある。つまり結論としては、情報の流通には課金できなくなるということだ。

貨幣はもともと物と交換するための物であった。情報は、排他的に占有できる物ではない以上、そもそも貨幣と交換する対象としてはなじまない。著作権法の苦しみは、そうした情報を貨幣との交換のために無理やり物体化しようをもがき続けたところにある。貨幣と交換できない物には価値がないと信じられている資本主義社会では、当然の試みだったと言える。結局、情報を物とみなす運動は常に中途半端な成果しかえられなかったわけだが。

情報を売ることはできない。なぜなら情報は物ではないからだ。ではインターネットでカネを稼ぐことはできないのか?実はできる。情報は売れないのだが、「人々の関心」は売れる。「人々の関心」は複製できないので、物と同じような性質を持っている。これは売ることができる。広告ビジネスがその典型だが、一般化すると「何らかの理由で目立ちたい人が、目立たせてくれる人にカネを払って、目立つ」という図式である。はてな人力検索になぜお金を払うのか?どうして、自分のブログに「教えてください」と書かないのか?それは自分のブログはアクセスが(普通)少ないからだ。(まあ 2ch に尋ねるということもできるけど・・・。はてな人力検索のほうがまったりしてていい、という人がお金を払うのだろう)

ネットでは、基本としては、情報は情報と交換され、それで取引が完結する。そこで貨幣は絡まないが、取引に関わった人たちの幸福量は増加するので、なんらかの生産と消費が行われたと考えていい。そして、リアルな世界では相変わらず物を調達するのに貨幣が必要だが、その貨幣は上で述べたように「人々の関心」を売却することで調達できる。

これがネットの基本的な経済的構造になるのだろうな。

P.S.
まちがえて自分で自分にはてなスターをつけてしまった。自作自演って感じでちょっと恥ずかしい。許して。