誰もが嫌がる仕事なんて本当にあるのだろうか?

blog 界の平成痛快男・dan kogai。しかしこのエントリにはかすかな違和感を感じた。

しかし、誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事は現に存在する。私が好きを貫いて書評する本を届けてくれる宅配のおねーちゃんやおにーちゃんは好きを貫いているのだろうか。私が好きを貫いて買ったプリウスを作ってくれた人々は、みんながみんな好きを貫いているのだろうか。そして、私が好きを貫いて催した宴会のゴミを回収してくれる人々は好きを貫いているのだろうか。

dan さんが言わんとすることはわかるし、「好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々」に感謝しようという発言が善意から来ていることもわかる。しかし彼の言い方はまるである種の仕事は誰からも好かれない、と言っているように聞こえる。

dan さんは並外れて知的に優れた人だから、あまり知的とはいえない退屈で骨が折れる仕事が好きにはなれないのかもしれない。しかし、そうした仕事を好むひともいるのではないか?

私は、むかし沖縄に移住しようと資金稼ぎのために、群馬のバス工場で3ヶ月肉体労働にいそしんだことがあった。私の仕事は、バスにエアコン用のフロンを注入する仕事だった。私はその単純作業を憎んだ。毎日早く一日が終わってほしいと願ったものだ。

だが私と同じ作業班には、20年以上同じ単純作業を続けているおじさんがいた。彼は50を少し過ぎた寡黙な男だった。彼は人付き合いが苦手で同じことを同じように毎日繰り返す仕事に安心感を見出しているようだった。私には、とてもできないと思った。それまで工場労働は非人間的ですべて機械に置き換えるべきじゃないかと思っていたのだが、じつはこんな仕事を愛している人たちもいるのではないかと思い返した。

世界は広く、人々は多様だ。どんな仕事もじつは誰かによって愛されうるし、現に愛されているのではないか?それがいくら常識的には報われない骨折り仕事だとしても。だから好きを仕事にすることに後ろめたさを感じる必要なんてないと思う。だって、あなたが愛するその仕事も、他の誰かには耐えられないほど退屈でつまらない仕事なのかもしれないから。