プロフェッショナルの条件

ピーター・ドラッガーが90歳(!)を越えたころ書いた本である。あまりに感動的なので、その一部を要約する。

Part 3 自らをマネジメントする - 1章 私の人生を変えた七つの経験

1.目標とビジョンをもって行動する---ヴェルディの教訓

ヴェルディは80歳を超えてオペラ「ファルスタッフ」を書いた。
ヴェルディの言葉「いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった」
失敗し続けるに違いなくとも完全を求めていくことの重要性。

2.神々が見ている---フェイディアスの教訓

誰にも見えない彫像の背中・・・しかし「そんなことはない。神々が見ている」
誰にも気づかれなくても完全を求めていくことの重要性。

3.一つのことに集中する---記者時代の決心

一時に一つのことに集中して勉強する。

4.定期的に検証と反省を行う---編集長の教訓

「集中すべきことは何か」「改善すべきことは何か」「勉強すべきことは何か」
定期的な検証・反省。

5.新しい仕事が要求するものを考える---シニアパートナーの教訓

昇進し、新しい仕事をまかされた有能な人たちのうち、本当に成功する人はあまりいない。
原因:新しい任務に就いても、前の任務で成功していたこと、昇進をもたらしてくれたことをやり続けるから。
新しい任務で成功するうえで必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。それは、新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。

6.書きとめておく---イエズス会カルヴァン派の教訓

イエズス会カルヴァン派では、重要な決定をする際に、その期待する結果を書きとめておかねばならないことになっていた。一定期間の後、たとえば九か月後、実際の結果とその期待を見比べなければならなかった。
「自らの強みが何か」知ること、「それらの強みをいかにしてさらに強化するか」を知ること、そして「自分には何ができないか」を知ることこそ、継続学習の要である。

7.何によって知られたいか---シュンペーターの教訓

この一節は特に感動的なので、丸ごと引用したい。シュンペーターは有名な経済学者である。
オーストリア大蔵省の官僚だった父は、大学で経済学を教えていた。1902年、父は19歳の秀才シュンペーターに出会った。二人にはまったく似たところがなかった。シュンペーターは雄弁で、行動家、自信家だった。父は静かで落ち着いた謙遜家だった。二人の友情はずっと続いていた。すでにシュンペーターは名をなしていた。ハーバードで最後の年を迎えていた。その名は絶頂期にあった。
二人はむかし話を楽しんだ。いずれもウィーン生まれで、ウィーンで仕事をしていた。二人ともアメリカに移住してきた。シュンペーターは1932年に、父はその4年後に移住した。突然、父はにこにこしながら、「ジョゼフ、自分が何によって知られたいか、今でも考えることがあるかね」と聞いた。シュンペーターは大きな声で笑った。というのは、シュンペーターはあの二冊の経済学の傑作を書いた30歳ころ、「ヨーロッパ一の美人を愛人にし、ヨーロッパ一の馬術家として、そしておそらくは、世界一の経済学者として知られたい」と言ったことで有名だったからである。
彼は答えた。「その質問は今でも、私には大切だ。でも、むかしとは考えが変わった。今は一人でも多くの優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として知られたいと思っている」。おそらく彼は、そのとき父の顔に浮かんだ怪訝な表情を見たに違いない。というのは、「アドルフ、私も本や理論で名を残すだけでは満足できない歳になった。人を変えることができなかったら、何にも変えたことにはならないから」と続けたからである。
彼は、その5日後に亡くなった。父が訪ねていったのも、シュンペーターの病気が重いことを聞き、あまり長くはないと思ったからだ。私は、今でもこの会話を忘れることができない。私は、この会話から三つのことを学んだ。
一つは、人は、何によって人に知られたいか自問しなければならないということである。二つめは、その問いに対する答えは、歳をとるにつれて変わっていかなければならないということである。成長に伴って、変わっていなかなければならないのである。三つめは、本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人間に変えることであるということである。」

感想

いかかだろうか。とても90歳を超えた巨匠が書いたものとは思えないみずみずしさ。素晴らしいの一言に尽きる。私は特に「新しい仕事が要求するものを考える」「何によって知られたいか」の節に胸を打たれた。

私はいまプログラマとして働いている。技術はある程度好きであるけれども、これを一生の仕事にしたいかといえば微妙なところ。私が関心があるのは、技術と社会が交わるところであり、関心の中心は、人間や社会にある。私は、いちおう会社を作り起業家という立場にいる。それなのに、仕事ぶりは以前の会社員としてのプログラマ時代と変わらないではないか。私は、起業家としての働き方を学ばなければならないのだろうと思う。勇気づけられることには、ドラッガーはそのために「卓越した知識や卓越した才能」は要らないと言ってくれている。勇気をもって新しい第一歩を踏み出すべきなのだろう。

「何によって知られたいか」考えるのは非常に重要であろう。それは、そもそもどういう方向で仕事をすべきなのかのもっとも基本的な指針になるからだ。私は、死ぬときに「技術者」してその名を知られたいのか。「実業家」としてか。それとも社会を変えた「変革者」としてか。私は30代をあと数年残して、自分の人生をどういうものにしたいのか、きちんと決めるべきときが近づいていることを感じている。