自滅する日本

池田信夫 blog 地デジの非常識のコメント欄より。

既得権益の狂気と自滅 (伊藤)
2008-07-27 18:45:50
今回のエントリーを読ませていただき、既得権業界と官僚が経済を硬直化させどんどん日本を貧困国へ導いている現状を強く感じました。この状況から自分は、財閥と軍部が自分達の既得権を維持するために日本を戦争へ導いていった狂気を連想してしまいます。多分第二次大戦前の日本も今のような閉塞感に包まれていたんじゃないでしょうか。

上瀬氏のようなレベルの人が次世代の日本の情報通信技術の中心にいるとは情け無い限りです。国際会議だったら、物笑いの種になるだけでなく日本の情報通信技術への信頼の失墜の原因にもなってしまうでしょう。淘汰されるべき人が重要な地位に居座り業界を自滅へと導いている。。。ここにも日本の人材流動性の低さの弊害が表れている気がします。

知識の活用よりも忠誠心 人的資源を無駄にする日本社会

日本の官僚制度では、役所に忠誠を尽くすことが何よりも大切ですからね。海外に留学したら最後、逆に「お前は留学させてもらい、海外で役所に食わせてもらったんだぞ」と言われ、立場が弱くなってしまう。その状況で海外で学んだ最先端の知識や経験を応用しようとすると、硬直化した組織の論理と矛盾が出てしまい、せっかくの知的財産が活用されずに封殺されてしまうのです。

小説家・司馬遼太郎は、20歳のとき敗戦を迎えた。終戦の日、彼は栃木県佐野市で戦車に乗っていた。日本の戦車は物資不足のため鋼板が薄く、まともな銃弾が当たれば、おもちゃのように簡単にぺちゃんこになったそうだ。そのため、若き日の司馬遼太郎は、常に死の恐怖と直面していた。「なぜ日本はこんな戦争を始めたのか」という問いかけが彼が歴史小説を書く原点だったという。

彼の認識では、20世紀初頭の日露戦争が転換点だったという。それは彼の作品「坂の上の雲」に詳しい。日露戦争まで、日本は必死だった。知恵を絞り、日露戦争を何とか引き分けより微妙に勝利に近い点で、終わらすことができた。しかし、そのあと、日本という国は、ロシアを破ったことにより、過剰な自信を持つようになり、自分たちの失敗や欠点を反省することが少なくなった。司馬氏の言い回しでいうと「日本は夜郎自大になった」ということだ。「野郎自大」とは中国の故事に基づく言葉だか、ようするに思い上がって自分を実力以上の存在と勘違いすることである。

司馬氏は、日本という国が抱えた持病「野郎自大」の再発を防止すべく、必死な思いで小説やエッセイを書き続けた。しかし、その思いはついにこの国の人々に届かなかったようだ。

いま日本は、昭和の始めとまったく同じ過ちのコースをたどっている。暴走し始めた装置はもう最後に爆裂するまで停止しないように思える。

おそらく一番の問題は人事制度であろう。1960年代の高度成長期の日本企業の強みは、従業員の団結力の強さにあった。しかし、それはややもすると組織間の人材の流動性を下げ、人々は組織にしがみつくことにつながりかねない。そして、組織に対して批判的な者は追放され、無反省に組織の目標に追従する人間だけが生き残ることになる。そうすると、組織は暴走するしかない。そうやって戦前の陸軍は暴走したのだろうし、いまも官僚機構や保守的な大企業は暴走し始めているのだろう。

現代に池田信夫高橋洋一がいるように、戦前にも、日本の暴走に対して警鐘を鳴らし続けた人々がいたにちがいない。しかし、彼らは迫害されたり追放されて、決して中枢の意思決定者にその声は届かなかったのだろう。やはり、ちょうど現代における池田氏や高橋氏のように。

もう日本は破滅への引き金を引いてしまったように思える。この国の誰もがはっきりとわかる形で、経済的な敗戦を迎えたと認識できる日まで、この国は堕ちていくしかないだろう。非常に陰鬱な予測だが、おそらく当たってしまうにちがいない。できれば外れてほしい予測なのだが。