在外日本人の危機意識

昨日、サイゴンで、Asukal 氏にお会いした。Asukal 氏の本業は貿易商で、中国をメインにベトナムにも進出されようとしているらしい。ベトナムでは、オフショア開発のソフトウェア会社を共同経営されているとのこと。Asukal 氏が中国に進出したのは、約20年前だというから、長いことアジアと深いかかわりを持って暮らしている方である。

ベトナムの話で多いに盛り上がった。Asukal 氏は、中国語を全て耳から覚えるという偉業を達成しているのだが、その氏いわく、ベトナム語の発音は半端なく難しいと。ベトナム語の発音の難しさはタイ語を超え、ひょっとしたらアジア1、発音が難しい言語かもしれない、と私も思う。Asukal 氏は、貧しい田舎のベトナム人たちにも、礼節があることに感激し、彼らは、日本の明治の農民のようなものではないか、と言った。この言葉には思わず、うなってしまった。本当にそうなのかもしれない。ベトナムを訪れる日本人がなぜか「懐かしさ」を感じることが多いのは、ベトナム人に高度成長期以前の、「エコノミックアニマル」ではなかったころの、悠然とした日本人の姿を見るからなのかもしれない。

このまえ、香港の bobby 氏とお話したときも感じたのだが、アジアで長く暮らしている日本人たちと私は、同じ危機意識を共有していると強く感じた。
それはアジアにおける巨大な地殻変動震源にある中国の台頭のことだ。Asukal 氏は、中国の周辺国が中国経済に「飲み込まれる」という表現を使ったが、私も1年前、アジアを訪れたとき、まったく同じように感じた。香港・マカオは完全に飲み込まれた。台湾もそれに準じる状態。次は韓国やベトナムだろう。だが、日本も20年後どうなっているかわからない。

オバマ米大統領は最近、「米中両国の関係は21世紀を方向付ける。世界のどの2国間関係にも劣らず重要だ」と発言した。日本は、いまや米中という世界の2大強国に地政学的に挟まれているのだ。歴史を見ればわかるように、強国に挟まれた弱国は、政治的に難しい舵取りを常に迫られる。在日日本人たちはそれに気付いているだろうか。永遠に日米安保が日本を守ってくれると能天気に信じているのだろうか。米中の取引さえ成立すれば、日本は公式に「中国ブロック」に組み込まれてしまうかもしれないのに。中国という古くて新しい「宗主国」とどうやって付き合っていくか、真剣に考えている在日日本人がどれくらいいるだろうか。

Asukal 氏も「そのうち、日本の女の子が中国の水商売に出稼ぎに行くようになるかもしれないね」と笑っていた。私もつられて笑ったが、必ずしも笑い話で終わらすことができないとも感じた。私は20年前、経済学部の学生だったころ、同級生と「日中の経済成長率の差がこのまま推移すると20年後に日中のGDPが逆転するね」と笑って話していたからだ。あのときは、単に理論的な可能性について論じているつもりだったのだが。