ワークシェアリングとしての労働流動性

ベトナム若い人たちの中には、実にしょっちゅう転職している人たちがいる。しかし、そんなに悲痛な感じはしない。それは、すぐに新しい仕事が見つかるからだ。次の仕事があると信じられる人にとっては、仕事と仕事の間の休みはよき充電期間になる。その間に、好きな勉強をしたり、旅行に行ったり、自由にすごすことができる。辞めた人のポジションは誰か他の人が埋める。そうやって社会全体でみると一つの仕事を全員で分け合うワークシェアリングになっている。

日本でも実は中小の IT 企業の世界では労働流動性は昔から大きかった。「会社倒産したからすぐ失業保険がもらえてラッキー」などと笑う人もいた。たしかに、日本だからすべての企業が終身雇用というわけではない。ただ残念ながら、そういう場所は日本ではあまり多くはないようだ。

多くの場所では、会社にしがみつきつつ死ぬほど忙しい人たちと、仕事をしたくてもありつけない失業者、あるいは仕事に疲れきってもう二度と働きたくないニートたちという形で仕事が極端に偏在する形になってしまっている。

労働流動性の自然的ワークシェアリングとしての性格はあまり認識されていないけれども、案外重要かもしれない。仕事は天下の回りもの。独り占めしないで、みんなでぐるぐる回したらいいのだ。とは言っても、現状、みな恐怖心のあまり仕事にしがみついている以上、なかなか難しいね。どうしたらこの負の均衡を破ることができるのだろうか。・・・やはり、労働需要を増やし、働き口をたくさん作るしかないんじゃないか。

いま世界的に見て日本人労働者への需要が減っているのだ。日本企業は逃げていくし、外国企業はやってこない。需要を喚起するには、市場原理に従えば、価格=労賃を下げるしかないだろう。以前も書いたのだが、労賃を下げるには二つの方法があって、直接、円建ての数字を下げる方法と円安にする方法がある。どちらも同じようにドル建てでの賃金が下がる。しかし、円建ての数字を下げるのは、労働者にとって非常に屈辱的なので、円安のほうが受け入れやすい。

昔は、製造業の大企業が円安にしてくれとうるさく政府にせがんだのだが、いまや外国にたくさん工場を持つ彼らは、無関心を決め込んでいる。誰も円安にしろ、とは言わない。私は、政策的に為替レートを操作するというのは、いろいろ無理が発生するので、あまりいいとは思わない。そもそも、日本は実質金利を下げるのが非常に難しい状態で、やろうと思っても難しいかもしれないけど・・・。

一番の正論は、日本に新産業を作り出し、新たな労働需要を作り出すことだ。これなら、賃金を下げなくても、労働需要が拡大する。需要の強さによっては、賃金が上昇さえする。これをやるには、大胆な規制改革が必要だ。労働需要が増えればいいので、外国企業の呼び込みも重要。あと既得権益を持つ産業を解体して、利用効率の悪い資源を解放する必要がある。しかし、どれも政治の大胆な主導が必要である。残念ながら、与党民主党は反資本主義的だし、そもそも世論が小泉改革的なものに反対しているのでどうしようもない。

最近私が危機感に満ちたエントリを連発しているのは、こうした政治への絶望があるからだ。もし政治が変わらなければ、結局、名目賃金が痛みを伴いながら下がっていくしかないのだろう。やれやれ、こまったなあ・・・だれかいいアイディアはありませんか?