就職氷河期は新しい日本の始まり

ちきりんによる、芸術的な域まで高められた煽り。

就職氷河期 サイコー! - Chikirinの日記

これに対するはてなブックマークの反応はすごいことになっている。こんな総タタキみたいになっているはてブは久しぶりに見た。

はてなブックマーク - 就職氷河期 サイコー! - Chikirinの日記

Twitter の方が総じて好意的である。

TOPSY - 就職氷河期 サイコー! - Chikirinの日記

ちきりんの煽り口調がむかつく、という気持ちはわからなくもない。ただ、長年のちきりんウォッチャーである私の目から見ると、今回のエントリはテンションが高すぎて、ちきりんの計画的犯行というのがミエミエなんだけどね。で、内容の方だけど、別に何も間違ったこと言ってないじゃん。その通りだよ。むしろ普通というか。食材は普通だけど、その上に振りかけたタイトルと口調という香辛料が効きすぎて、みんな口から火を吹いてしまったという感じかな。

私が、以前、

就活なんか勝ち抜いても、どこにも行き着かない - Rails で行こう!

というエントリを書いたのは、学生たちが、就活みたいな、昔の大名行列のような珍妙な儀式をやっとのことで通過しても、いまの日本企業はいつまでもつかわからないから、なんだか、みんな滑稽なことをしてるよね、と思ったからだった。たしかに大企業に入れば給与や福利厚生の面で恵まれているかもしれないけど、それが実感できるのは入社して多分10年くらい働いた後のことだよね?(外資系とちがって、日本企業は、若い人に極端に高い給料をあげたりしないはずだから)いまの日本経済の体たらくでいまの大企業が10年後どれくらい無傷で生き残ってるのかな?

20年前から思ってたのは、日本の大企業ってつくづく人材の墓場だなあ、ということ。就活のときにおもっきり優秀な人たちをひっさらっていくわりに、そういう人たちの能力を十分に生かしているとは言えない。日立製作所なんて博士を1000人以上抱えているけど、この10年の累積赤字が1兆円超えてるものね。

当事者には気の毒だけど、このまま就職氷河期が続けば、自分の仕事は自分で作り出していくしかない、という風潮は高まっていくはず。一昔前なら大企業に取り込まれて塩漬けにされていた優秀な人たちが、そういう安楽な場所に入れないために、かえって尻に火がついたように走り回って起業するようになれば、たしかに日本の未来は明るいんじゃないの。ベンチャー企業だったころのソニーやホンダのような会社が雨後のタケノコのようにあらわれるかもしれないしね。

就職できない若者が社会にあふれれば、この硬直化した社会が揺さぶられて、混乱が起きる。混乱がおきてこそ、既存の体制が揺らぎ、敗者復活戦もはじまるわけだから、明治維新以来の下克上のチャンス、っていうのも、まちがっていない。これは Twitter でも書いたけど、変化はたいていの人たちに嫌われている。それは、朝、人をむりやり叩き起こす目覚まし時計のようなものだからだ。でも、目覚めた後に起こることって、けっして悪いことだけじゃないよね?混乱の入り口では、生き方や考え方の変化を迫られる人たちが怨嗟の声をあげるかもしれないけど、おわってみたら案外悪くなかった、ということになるかもしれないし。

発展途上国もわるくないよ。インドで働くなんて、なんて思うかもしれないけど、うまいこと大企業に潜り込めれば、職場環境は日本よりいいかも。私は昔、インド系のソフトウェア会社で働いていたが、インドの開発拠点では、エアコンのよく効いた部屋で、エンジニアたちは広々とした机をもち、社員レストランのウェーターが自分の席まで食事とお茶(チャイ)を運んできてくれていた。東京の悲惨な職場環境を見ている私からすれば、あそこで働いているインド人エンジニアのほうがずっと恵まれている。「発展途上国で就職できる人間なら、日本でも就職できる」というのはそのとおりだけど、景気のいい話のない日本で働くより、発展途上国で働いたほうがもっと面白い経験ができるかもしれない。

いつの間にか日本は、お公家様ばかりの国になってしまったんだろうね。宮仕えをして一生をつつがなく過ごすことが理想。でも、だいたい貴族たちというのは、野武士たちに最後は権力を奪われてしまうんだよね。平安時代に京都の貴族が関東の野武士たちに負けてしまったみたいに。就職氷河期は、ふたたび若い人たちに野武士のような野生を取り戻すきっかけになるかも。だとすれば、就職氷河期は新しい日本の始まりなのかもしれない。