日本の大学へ行ってはいけない理由

このエントリで日本の大学には行くな、専門知識が身につかないから、と書いた。すると理系の人たちを中心に、「いや日本の大学でも専門知識は身につくよ」という反論をいただいた。確かに、理系ではかなり真面目に勉強をしているとは思う。しかしながら、特に経済学部・経営学部などを中心とする文系の学科では、真面目に勉強しない学生が多いのではないか。

私が卒業した東大経済学部は、入学時は「文科2類」と呼ばれる。「猫文2」と揶揄されていた。学生たちが猫と同じくらい怠け者で勉強しないという意味だ。とにかく学内に「一生懸命勉強しよう」という雰囲気がなかった。代返、ノートコピー、レポート丸写しが横行していた。日本の大学(とくに文系)は、学生たちに「勉強なんかしなくていいんだよ。大学でいろいろ難しいことを習うがそんなの社会にでて何の役にもたたないよ。知識を身につけ論理的な思考をするより、他者の顔色を見てうまく合わせる(コミュニケーション能力)ほうが重要だよ」という誤ったメッセージを強力に送り出してしまう環境なのだ。

こうした文系の学生たちが就職し、やがて会社の管理職・経営者になっていく。何か問題がおきたとき、それを専門知識によって解決するより、「汗水たらして」体力で解決しようとする傾向が強まるのは当然のことだろう。学生時代に「知識なんてお飾りだ」という刷り込みを受けているので、頭で考えてスマートに解決しようという発想にならない。骨の髄まで浸透した反知性主義である。

理系の人たちだけは大学で比較的真面目に勉強しているので、けなげに研究開発を進め、技術的に問題を解決しようとする。ところが、文系の経営者たちが、経営戦略をうまく立てられず、その成果をドブに捨てている。最近の日本の総合家電メーカーの事業成績の悪さを見るといい。要素技術はすばらしいが、それを商品という形にパッケージ化して、世界市場で売っていく力(広い意味でのマーケティング力)がなんとも弱い。経営者の能力が低いのだ。

日本の大学の最悪な点は、学生たちに反知性主義を叩き込んでしまう点にある。

改善する方法は実は比較的簡単だ。進学・卒業の規準を厳しくすればいい。アメリカのように機械的に規準を定め、それを満たさない人間は情け容赦なく落第・退学させればいいだけのことだ。ただこれをやるのは、大学側にも相当の覚悟がいる。教官たちも簡単に休講したりできなくなるしね。結局大学のほうとしてもぬるま湯が心地いいのだろう。

もちろん、学生の側にも反論はあるかもしれない。「就職時に専門知識を求める企業がないんだから、勉強なんかしたって意味ないよ」と。まあ、会社の経営者自身が、レジャーランド大学出身だからね。知識がある人間を採用してもどう使ったらいいのかわからないのだろう。MBA 取得者や博士たちを採用しないのも当然のことだ。

知識経済の現代においては、こういう知識の力を軽視する企業の経営は傾いていく。日本企業は過去稼いだ利益の蓄積があるから、簡単には倒産しない。しかし、成長しなければ、若い人たちが昇給・昇進する機会は少なくなっていく。だから、「専門知識なんて問いません。若くて元気で素直であれば誰でもいいです!」みたいな会社は、全力で避けるべきだ。

本当は、こういうカン違い企業を速やかに市場から追放するために、資本市場の活性化が必要なのだが・・・。これはまた別の機会に述べることにする。