15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ
この文章を、いま15歳を迎える日本人たち(1995年生まれ)に向かって書く。それ以上の年齢の人たちは読まなくてもかまわない。読んだ結果何かを感じるかもしれないが、それはこの文章の趣旨とは関係ない話だ。
君がもし、大学に行くことを考えているのなら、日本の大学はやめたほうがいい。日本の大学を卒業しても、専門知識はろくに身につかない。大学3年生のときから、「就活」という世にもくだらない非生産的な活動にエネルギーを注がなければならないからだ。激しい競争を潜り抜けて、大企業に就職できても、それは約束の地などではない。日本の大企業は中高年によって支配されていて、若者の意見は黙殺される。それでも、中高年の社員が賢ければいいかもしれない。実際のところ、彼らは論理的思考力を欠いている。考えてみてほしい。彼らは、日本の経済がまだ繁栄していたころに就職した人たちだ。当時の大学はレジャーランドだった。真面目に勉強するやつは「堅物」と敬遠され、下手をすると変人扱い。先輩のやり方を模倣するだけで、自分の頭で物事など一度も考えたことがない連中だ。歳を取り、腹に贅肉がついて、見た目は立派になったが、中身は空っぽである。こんな連中についていっても、未来などない。
起業は理想的なシナリオだ。しかし、日本社会は起業に対して非常に冷たい。いまの状況では叩き潰されるのが関の山だ。
一言で言えば、日本に希望なんかない。日本を変えていくしかない。
物事を変えるには二つの方法がある。一つは、直接抗議すること。もう一つは、逃げることだ。あるレストランのメニューがまずかったとしよう。一つは、「まずいよ。もっとうまいのを作ってよ」と抗議することだ。しかし、それでもうまくならなかったらどうするか?そのレストランに行かなければいい。そうやって客がみな逃げ出せば、レストランの経営が傾く。そこで経営者は初めて何かがおかしいことに気がつく。本気で対策を講じるだろう。
日本社会はこの20年間、驚くほど変化しなかった。この巨大な惰性が向こう数年で大きく変わるとは思えない。日本がよい方向に変わるだろう、という可能性に賭けるのは危険すぎる。自分自身の人生を守るために、逃げるべきだ。そして、それが同時に日本を変えていくことにもつながる。
海外へ出よう。英語を学んで、世界の人々と交流し、日本の狭苦しい世界観から解放されよう。意志さえあれば、英語を学ぶのにそれほどカネはかからない。インターネットには英語の資料があふれているし、Skype で安く英会話を学ぶこともできる。アジアの準英語圏(フィリピン・マレーシア・インド・スリランカ等)ならば留学も安い。可能なら、英語圏の大学への進学が望ましい。そこで、いろんな国から来た学生たちと交流し、多様な価値観に触れることができるだろう。これは、やはり実際に体験してみないとわからないことだ。
日本企業への就職はどうなる?考えが小さいなあ。日本企業なんてこれから尻すぼみだぜ。重要なのは、世界のどこでも働ける能力を身につけることだ。それが究極の社会保障でもある。海外大学卒を採用しないようなケツの穴の小さい日本企業なんて、こっちからお断りだ。もっといい待遇で自分を雇ってくれる外国企業を見つけよう。あるいは起業するのもいいかもしれない(できれば日本以外で)
今日、私は、ある日系ベトナム企業の採用面接の手伝いをした。ベトナムでもっとも優秀な大学を出て、コンピュータ技術・管理能力に優れて、英語・日本語がペラペラの若者たちが、6万円から9万円ほどの月給で働いていた。君たちの本当の競争相手は、こういう新興国で猛烈に勉強している若者たちだ。どうか「就活」などという愚にもつかない通過儀礼のために、君たちの貴重な若き日々を浪費しないでほしい。世界の企業に求められる技能を身につけ、がっぽり稼いで、自由な生き方を手に入れようじゃないか。