書評「はじめてのアジア海外就職」

閉塞感が充満する日本を離れ、思わずアジアへ飛んでいきたくなるような、不思議な解放感に溢れた良書である。どなたかによるアマゾンのほしい物リストからの献本、深く感謝いたします。

はじめてのアジア海外就職

はじめてのアジア海外就職

著者のもりぞおさんは30代半ばの男性。日本で長年、IT や製造業の分野で働いてきた。日本企業も外資系企業も両方経験している。バックパッカーとして、世界34カ国を旅したこともある。そんなもりぞおさんが、アジアでの就職を思い立ち、就職面接を受けに行った経験をもとに書かれたのが本書である。

アジア就職の心構えや具体的方法について詳細な記述がある。海外就職の意義に始まり「面接のため海外に行き、ホテルに到着したらまず何をしたらいいか?」などという痒いところに手が届く説明まで網羅している。

「香港・中国・シンガポール編」と銘打たれていて、本の後半はこうした都市の詳説に割かれているが、重要なのはむしろ前半の海外就職の心得に関する部分であろう。

簡単に要約してみる。

もりぞうさんアジア諸国を次の3つのタイプに分類している。

1. 先進国:シンガポール、香港、台湾
2. 発展途上国:中国、マレーシア、タイ、インドネシアベトナム、フィリピン
3. 後進国カンボジアラオスミャンマーバングラディシュ

このうち日本人を現地で採用しているのは、1.先進国か2.発展途上国がほとんどであるという。3. 後進国では、まだ日本企業の進出が始まっていないから、ということだろうか(裏を返せばこれからがチャンスなのかもしれない)。

私がさらに付け加えるとすれば、一般に所得水準が高い国ほど就労ビザが取りづらい(大卒が必須になる)。所得水準が低くなるほど、ビザの要件が緩くなる。海外に長期住んだことのないひとにはピンとこないかもしれないが、個人で海外に行って住む時、一番重要なのは適正な滞在資格を得るためのビザと言っても過言ではない。

次に日本人が働く企業としては、

1. 日系企業
2. 地元企業
3.(日本以外の)外資系企業

があると述べている。

このうち求人数の順でいうと、1.日系企業 3. 外資系企業 2. 地元企業ということらしい。これは私の皮膚感覚にも一致している。外資系(とくに欧米系)は、優秀さだけを求めていて、国籍については問わないことも多い。外資系でも地元企業でも、みなだいたい定時で帰る。日系企業は一番入りやすいが、働き方は日本の「モーレツ労働」を多少引きずっている。残業はそれなりにある。だがある意味、社内の雰囲気は、日本と地元の中間になっていて、日本ほど残業が多いことはないようだ。

ちなみにモリゾウさんは、一部の日系企業には「体育会系社畜文化」を推進するところもあるとはっきり述べていて思わず笑ってしまった。「社畜」ってネットスラングだと思っていたのだけど、こうやって活字で見るとなかなか感慨深いものがある(笑)。かつての海外ニートさんも、在シンガポールのこういう「体育会系社畜文化」日系企業で地獄の苦しみを味わい、「悟り」を開いたんだよな…。

日系企業で日本人が働くときには「駐在員」と「現地採用」という二種類の形態がある。

駐在員とは、もともと日本で働いていた正社員を本人の希望とはあまり関係なしに、海外の支店への異動を命じられたような人たちのことを指す。会社は彼らへの「迷惑料」として、特別な手当を支給し、かつ高級住宅を用意したりする。

一方で、現地採用は、文字通り、現地で採用された日本人たちのことである。彼らは、なんらかの理由でその国で働きたいという人たちだ。そのため、給与は駐在員よりずっと低い。(ただし現地人スタッフよりは高い)。

この両者は、完全に別々の社会階級を構成していることに注意すべきだ。社内の地位も、可処分所得も、現地に対するこだわりの深さも、何もかも違うからだ。駐在員の多くが、海外に行っても日本的な生活様式を堅持し、現地人とは深くは交際せず、日本に帰れる日を心待ちにしている(もちろん例外はあるが)。現地採用では、その国のライフスタイルが気に入ったり現地の人と結婚したりして、その国を離れたくない(離れられない)人が多い。

私は、海外で駐在員たちとつき合うことはほとんどない。私はそんなにカネを使って生活するわけでないので、彼らと生活圏がまるで違うためだ。私自身は、カナダにいたときは地元企業で働いていた。日系企業現地採用、という立場にいたことはないが、断然、現地採用組の日本人たちの方に親しみを感じざるを得ない。

もりぞおさんは、海外就職に必要な能力として次の3点をあげる。

  1. 日本での勤務経験
  2. 語学力
  3. 学歴

海外での企業(日系企業現地採用を含む)では、基本的に人を育てることはあまりしない。そんなものに構っている時間もカネもないのだ。即戦力を求めている。だから、日本での勤務経験がないと即戦力にならないと判断され、門前払いされてしまう。もりぞおさんは、最低3年の職務経験が欲しいところだ、と言っている。3年という数字に意味があるかはわからないが、ある程度の経験は必要だろう。

ただ未経験で絶対に無理か、といえばそんなこともあるまい。じっさい、もりぞおさんも、中国(深圳)なら、未経験でも意欲的な人物なら採用されることもありうると言っている。

語学力は、日本人なら日本語は当然のこととして、基本的にある程度の英語が話せればいいだろう。現地語は「しゃべれたらプラス」くらいの位置づけだ。ただし、現地採用の人は駐在員よりずっと現地スタッフとのつきあいが多いので、現地語が話せるとずっとはやく打ち解けられるのも事実だ。

学歴に関しては、大卒なら無難、という感じ。就労ビザが大卒以上じゃないと出ないという国があるからだ。さらに国によっては、出身学部・学科と現在の職業との関連性が厳しく問われることもある。私もカナダで永住権の申請をしたとき「どうしてお前は経済学部出身なのにソフトウェア技術者をやっているんだ?」と何度も問われて閉口した記憶がある。

これらの海外で働くのに必要な能力については、アジア諸国だけでなく、世界中どの国でも共通な気がする(ただし日本を除く(笑))。

海外就職する際にお世話になる人材紹介会社との付き合い方も非常に親切に説明してあり、大いに役立ちそうだ。

私もそれなりに長く海外に滞在したことがあるので、その経験からしても、もりぞおさんの言っていることに変な部分は少しもなかった。彼の経験を素直に文字にしたのがわかる。

もりぞうさんは前書きで、

閉塞感を払拭するのに必要なものは、新たなる選択肢の存在を認識することである。

と宣言する。これがこの本を貫くメッセージになっている。

@allergen126 氏も言うように、

『君は海外就職の時代?/それは誰も知らない』 - ゴムホース大學

自分は海外就職が必ずしも万人が幸福になれるにベストな挑戦だとは思わないが、何か閉じたサーキットの中で人生が行き詰ったとき。自身を外部広く広がる不確実性のリスクと可能性に身をさらすのは良い方法ではないかと思う。日本の労働市場の問題点は、この良くも悪くも不確実性の部分が減っていることにある。それに単純に使い捨ての国内ブラックでしか選択肢がない場合、キャリアを積む飛躍として挑戦してみてもいいじゃないの。

ということなのだ。

海外就職する気がない人も、本書を一読すれば、目の前が広々と開けるような不思議な清涼感を感じるはずだ。「人生いろいろ、生き方は一つじゃないさ」という当たり前のことを気がつかせてくれるからだろう。

【告知】
来たる4月19日(木)20:00 から書評人ラジオを久しぶりにやります。栄えある再始動後、最初のスペシャルゲストとして、本書の著者・もりぞお(@mota2008)さんをお招きします。アジア就職に関するもりぞおさんの本音に迫ります。

P.S.
一点気がついたこと。

香港やシンガポールで就職活動するとき、何泊か滞在しなければならないだろう。香港やシンガポールはホテル代が東京以上に高いことで悪名高い。そこで穴場なのは、ドミトリー式のホステルである。つまり相部屋でベッド一つを借りるのである。これならば、一泊の宿泊費を1000円-2000円程度に抑えることができる。これならばアジアの発展途上国並みである。

私は香港では、九龍半島にあるラッキーハウスというゲストハウスによく泊まっていた。おそろしくボロいのだが、主人のオヤジがいい味を出していて、不思議に落ち着く宿だった(だが、南京虫にときどき噛まれるので、潔癖性の人にはおすすめできない)。

最近、シンガポールではリトルインディアのゲストハウスに泊まることが多い。リトルインディアはシンガポールには珍しく人間臭い街で、安くて清潔なゲストハウスもあるので、探してみるといいかもしれない。

もりぞおさんは、バックパッカーだったはずなのに、こうしたドミトリーという選択肢をなぜ紹介していないのか、やや不思議である。一般受けしないと判断したからだろうか…(笑)。